手の妙用

Pocket

book20141101

[吉田弘/東明社]

これは臼井氏が始めた靈氣療法とは無関係の、手当療法について書かれた本です。

1970年の出版ですが、著者の吉田弘氏は、大正11年に京都帝大を卒業された方で、心霊研究などをされています。

豊富な実践例も紹介されていて、ほとんどすべての病気が手当で治るという吉田氏の自信を、裏付けているように思います。

 

吉田氏は、手当療法は特別な技能が必要なものではなく、誰でもできると言います。

また、それを人に教えてやらせると、同様の効果があるので、私の手だけでなく、誰の手でも、また何も知らないでも、やればなおるということである。」(p.110)

なぜならば、私の手当するときの気持は、催眠術師のように心に何か思って、決意したり、観念をこらしたりすることは、全然しないために、「私がやった」という意識が起こらぬ。ただ私は「手にどう感ずるか」ということだけに心を集注しているだけである。」(p.205)

つまり、レイキではアチューンメント(霊授)によってレイキの回路が通じるようになると言うのですが、その必要さえないのだと。

そして気功のように、意識を集中することも要らないと言います。ただボーっとして、手の感じを感じていればよいのです。

 

「手当療法」には、しかし、一つの欠点がある。それはこの忙しい世の中で、手当はある程度の時間をかけねばならぬということである。」(p.79)

私はこれを、欠点でもあると同時に、長所でもあると思っています。

なぜなら、長く寄り添っていられるからです。誰かのために長く寄り添うということは、すなわち「愛の行為」ではないでしょうか。

 

打撲や捻挫のような急激に起こった痛みは、急激に手当すれば、なおるが、その他の病気になると、そう簡単にはいかない。」(p.78)

肝腎かなめがわるくならなければ、癌といえども発生しないと断言しうる。」(p.106)

心と肉体とが一番関係の深いのは肝臓である。気の短い人、怒りやすい人、酒乱、ヒステリー、ヒポコンデリー、ノイローゼ、てんかん等、私にいわせれば、みな肝臓が原因である。」(p.107)

とくにヘソ中心に当ててるときは、両腎臓にも当てられるので、誤って腸で全部なおると信じ込んでいる場合が多い。
 「感ずる手」ならば、腹の方から当てても腎臓がわるいのはよくわかる。」(p.178)

このように、早期に手当をすることと、病気の場合は肝臓や腎臓にヒビキがあるかどうかを感知し、そこに手を当てることが重要だと説いています。

手当をすることが遅れれば、文字通りに手遅れとなるので、早めに手当することが大切なのですね。

 

ところが「手当療法」では診断はあとですればよい。診断を先行させる必要がない。
 患者が苦痛を訴えるところに、まず手を当てる。しばらく当てていると、その部分がほんとうにわるいなら、手に次第に痛みを強く感じだして、遂にはその痛みは完全に取れてしまう。」(p.174)

素人であっても、原因がわからなくても、ただ手を当てればよい。本当に簡単な方法だと思います。

 

「手当療法」で一番大切なことは、自分の手を「感ずる手」にすることである。
 本来、人間の手は「感ずる手」になっているのである。八、九才から、十二、三才までの子供なら「感ずる手」を持っている。」(p.141)

ただ私の手と違うのは、私の手は「感ずる手」になっており、一般の人の手は「感じない手」であるだけの相違である。「感じない手」でも患部に根気よく当てていれば、必ず効くのである。ただ感じないから、当てている本人がたよりない感じでいるから、長つづきがせず、根気よく手を当てていられない。根気よく当てれば、何も知らずとも必ず効くのである。その実例はたくさんあるから、信じて断行してみればよいと思う。」(p.138)

しかし、「手当療法」の放射は、いくら当てても当てすぎて害になることはない。当ててよくなると、自然に患部から手がはなれてしまう。
 またちょっと当てる場所が違っても、「感ずる手」なら、自然に動いて、真の患部の方に移っていく。
 もし「感じない手」ならば、少々違った部分に当てていても、その効果は間接に患部に及んでゆくから、害になることは絶対にない。素人がやっても決して誤りを犯して害を与えるようなことはない。」(p.113)

このように言って、「感ずる手」になることの重要性を説いていますが、それと同時に、「感じない手」であっても効果はあるということを力説しています。

 

では、「感ずる手」になるにはどうすれば良いのでしょう。そのことを、以下のように説明しています。

一言にして言えば、手に精神を集注する練習をすれば「感ずる手」になるのである。」(p.143)

具体的な修練方法も書かれていますが、要は手に意識を集中することだそうです。

 

レイキではありませんが、レイキとまったく同じパワーだと思います。ですから、レイキの実践にも役立つ内容だと思います。

ただ残念ながら絶版で、今は中古でしか手に入りません。再版されることを期待します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください