This is 靈氣

book20150410[フランク・アジャバ・ペッター/高丸悦子訳/BABジャパン]

独自に進化をした西洋レイキは、著者のフランク氏などを通じて日本に根を下ろしました。

一方、フランク氏は、REIKIのルーツを探ることに情熱を捧げました。そして靈氣と出会うことになったのです。

この本は、フランク氏の靈氣への愛情が作り上げたレイキの歴史、ルーツを解き明かす、靈氣の集大成なのです。

 

すでに消滅したと思われていた臼井靈氣療法学会がまだ存続していたこと、そしてその会長を務められた小川二三男氏小山君子氏へのインタビューも載っています。

学会の会員について小山先生はこう語った「会員ひとりひとりが人格を形成し心を浄化すべく努力しています。健康を保つためによく養生をし、正しく食べ、よく眠ることを心がけているのです。日々自己靈氣をかけます。靈氣は体中どこにでも効き、免疫力を高めます。内臓の働きを活発化し、新しい細胞の生成を促進するので、医療や手術に頼る必要がなくなります」」(p.56 – 57)

 

また著者のフランク氏は、直傳靈氣山口千代子氏およびご子息の忠夫氏にも学び、今は直傳靈氣の大師範となられたばかりか、代表代行として直傳靈氣の普及に努めておられます。

西洋レイキと伝統のレイキとの大きな違いは、病腺(びょうせん)(※)にあると言われます。そのことも、本書で詳しく取り上げられています。

病腺は千代子先生が最も訴えたい靈氣の秘術だった。
「手を置いてください、何か感じますか?」
脈拍と強いピリピリ感を覚えた。急にこんなことを聞いてみたくなった。
「先生は靈氣をかけている間、何を感じていますか?」
「愛ですね」
(中略)
「私は施術に出かけてバスに乗ることがあります。バス停で辛そうにしている人に出会うと、靈氣で癒してあげたくなります」
それが答えだった。
「患者さんとあなたにとって一番心地よいやり方を探してください。ご自分の腎臓にかけるなら、手のひらを背中に当てるのは都合が悪いですね。そういう時は手の甲でもいいんですよ」
 それから千代子先生はおもむろに、ひとりの生徒の両足を軽打し、さすり始めた。
「うっ血していると感じたら、マッサージするとか軽く叩いてあげるとか指圧を加えるといいですよ。そうすれば、靈氣が深く入ります」」(p.126 – 127)

※このブログでは、ここでいう病腺のことをヒビキという言葉で説明しています。

 

また、臼井靈氣療法学会に伝わる「臼井靈氣療法必携」という冊子は、創始者の臼井甕男氏が弟子たちに残した書物として貴重です。その内容も、この本の中に記載されています。

心霊的な療法と言うこともできますが、物質的療法(身体による癒し)と言ってもかまわないでしょう。なぜなら、施術者の身体中から氣と光が放射するからです。特に眼、口、手から多く発します。ですから、患部を二、三分の間凝視するか、呼気を吹きかけるか、手で撫でたりしていますと、歯痛、頭痛、胃腸病、神経痛、乳腺症、打ち身、切り傷、火傷、その他の腫れや痛みなどはたちどころに痛みが去り、腫れがひきます。ただし、慢性疾患についてはそうもいきません。何回かの治療を要しますが、それでも一回の治療で効果が現れます。」(p.78)

どんな病気でも効果がある。そう臼井氏は断言しています。

 

レイキの歴史について、レイキの技術について、フランク氏が足で調べた貴重な情報が満載の本となっています。

「この本は、僕がレイキに捧げるラブソングだ」と、本の帯にフランク氏の言葉が書かれています。

レイキを愛する者として、フランク氏の愛情のこもったこの本を、同じレイキを学ぶ人たちにお勧めします。

 

靈氣と仁術-富田流手あて療法

book20150130[富田魁二/望月俊孝復刻/BABジャパン]

臼井霊気療法を習った著者の富田氏は、レイキを独自に進化させて、富田流手あて療法を確立しました。

この当時、臼井霊気療法からスピンアウトして独自の療法を確立した人は、他にも何人かいたようです。

この本は、昭和8年に出版されたものを、ヴォルテックスの望月俊孝さんが復刊されたものです。

 

この療法によつて治療する時は、医薬を凌駕する効果を奏する事が出来る。否確実に効果を奏しておる。」(p.254)

この本では、実際に治療した患者の病名、治療回数なども開示されています。

この治療に絶対的な自信を持っておられたのでしょう。

 

元来治療と言ふのは、病気を治さんがための手段方法であるがこの病気を治すと言ふ根源は他人の力に因つて出来得る性質のものではない。病者自体に存在する性質のものである。即ち病者の自然療能作用の発動いかんに因つて成立しあるひは不成立に終るべき治療の原則である。この原則はこの療法に限つた訳ではない、すべての療法は皆同一であるはずだ。そこで治療すると言ふことは病者の自癒力を基礎としてこれに諸精分を与へ病気に抵抗するの力量を増加せしめんがために行はれる手段方法がいはゆる治療である。」(p.143)

レイキは、宇宙に充満している氣(靈氣)が施術者を通って患部に流れる(患部が吸収する)ことによって、その患部の自然治癒力が増強されるのです。

この原理がわかれば、患者に副作用がないことや、施術者に悪い影響がないことも理解できます。

 

今仮に、乳を患ふ婦人があつて、これを医学上乳癌と診断したとすれば、この治療箇所は、乳のみを治療するのが、普通の治療法である。あるいは手術に、あるいは湿布にと、治療に手を尽くすのであろう(※)元来癌病は、不治の病気と見なされておるので、治療の効果も至つて面白くないのが通例である。
 この病者をこの療法によつて実地研究したるに乳の治療も、もちろん必要ではあるが、この時は、子宮の治療が有効であることを発見したのである。したがつて子宮を治療することによつて適確に効果を奏し得るのである。」(p.132)

※ここに句点(。)が入らないとおかしいと思われますが、本には句点がありません。

レイキ療法の特徴がここに書かれています。西洋医学なら、その患部を治療しようとします。そのため、病気の根本原因(病根)が外にあることが、なかなかわかりにくいのです。

一方のレイキは、手を当てることでヒビキを感知します。そのヒビキは、患部だけでなく病根からも得られる反応なのです。

西洋医学では、どこがどう悪いのかがわからないと対処できません。そのため、診断が重要になります。

一方のレイキは、病根と患部がわかればよく、そこがなぜ悪いのかとか、どのように悪いのかを知る必要がありません。西洋医学的な診断を必要としないのです。

 

昭和初期、レイキ療法の全盛だったと言ってもよいでしょう。全盛期には全国で約100万人もの施術者がいたそうです。

今は代替医療としては認められていませんが、当時のように心身を癒して人々を元気にさせるレイキが、復活してほしいものだと思います。

 

 

手の妙用

book20141101

[吉田弘/東明社]

これは臼井氏が始めた靈氣療法とは無関係の、手当療法について書かれた本です。

1970年の出版ですが、著者の吉田弘氏は、大正11年に京都帝大を卒業された方で、心霊研究などをされています。

豊富な実践例も紹介されていて、ほとんどすべての病気が手当で治るという吉田氏の自信を、裏付けているように思います。

 

吉田氏は、手当療法は特別な技能が必要なものではなく、誰でもできると言います。

また、それを人に教えてやらせると、同様の効果があるので、私の手だけでなく、誰の手でも、また何も知らないでも、やればなおるということである。」(p.110)

なぜならば、私の手当するときの気持は、催眠術師のように心に何か思って、決意したり、観念をこらしたりすることは、全然しないために、「私がやった」という意識が起こらぬ。ただ私は「手にどう感ずるか」ということだけに心を集注しているだけである。」(p.205)

つまり、レイキではアチューンメント(霊授)によってレイキの回路が通じるようになると言うのですが、その必要さえないのだと。

そして気功のように、意識を集中することも要らないと言います。ただボーっとして、手の感じを感じていればよいのです。

 

「手当療法」には、しかし、一つの欠点がある。それはこの忙しい世の中で、手当はある程度の時間をかけねばならぬということである。」(p.79)

私はこれを、欠点でもあると同時に、長所でもあると思っています。

なぜなら、長く寄り添っていられるからです。誰かのために長く寄り添うということは、すなわち「愛の行為」ではないでしょうか。

 

打撲や捻挫のような急激に起こった痛みは、急激に手当すれば、なおるが、その他の病気になると、そう簡単にはいかない。」(p.78)

肝腎かなめがわるくならなければ、癌といえども発生しないと断言しうる。」(p.106)

心と肉体とが一番関係の深いのは肝臓である。気の短い人、怒りやすい人、酒乱、ヒステリー、ヒポコンデリー、ノイローゼ、てんかん等、私にいわせれば、みな肝臓が原因である。」(p.107)

とくにヘソ中心に当ててるときは、両腎臓にも当てられるので、誤って腸で全部なおると信じ込んでいる場合が多い。
 「感ずる手」ならば、腹の方から当てても腎臓がわるいのはよくわかる。」(p.178)

このように、早期に手当をすることと、病気の場合は肝臓や腎臓にヒビキがあるかどうかを感知し、そこに手を当てることが重要だと説いています。

手当をすることが遅れれば、文字通りに手遅れとなるので、早めに手当することが大切なのですね。

 

ところが「手当療法」では診断はあとですればよい。診断を先行させる必要がない。
 患者が苦痛を訴えるところに、まず手を当てる。しばらく当てていると、その部分がほんとうにわるいなら、手に次第に痛みを強く感じだして、遂にはその痛みは完全に取れてしまう。」(p.174)

素人であっても、原因がわからなくても、ただ手を当てればよい。本当に簡単な方法だと思います。

 

「手当療法」で一番大切なことは、自分の手を「感ずる手」にすることである。
 本来、人間の手は「感ずる手」になっているのである。八、九才から、十二、三才までの子供なら「感ずる手」を持っている。」(p.141)

ただ私の手と違うのは、私の手は「感ずる手」になっており、一般の人の手は「感じない手」であるだけの相違である。「感じない手」でも患部に根気よく当てていれば、必ず効くのである。ただ感じないから、当てている本人がたよりない感じでいるから、長つづきがせず、根気よく手を当てていられない。根気よく当てれば、何も知らずとも必ず効くのである。その実例はたくさんあるから、信じて断行してみればよいと思う。」(p.138)

しかし、「手当療法」の放射は、いくら当てても当てすぎて害になることはない。当ててよくなると、自然に患部から手がはなれてしまう。
 またちょっと当てる場所が違っても、「感ずる手」なら、自然に動いて、真の患部の方に移っていく。
 もし「感じない手」ならば、少々違った部分に当てていても、その効果は間接に患部に及んでゆくから、害になることは絶対にない。素人がやっても決して誤りを犯して害を与えるようなことはない。」(p.113)

このように言って、「感ずる手」になることの重要性を説いていますが、それと同時に、「感じない手」であっても効果はあるということを力説しています。

 

では、「感ずる手」になるにはどうすれば良いのでしょう。そのことを、以下のように説明しています。

一言にして言えば、手に精神を集注する練習をすれば「感ずる手」になるのである。」(p.143)

具体的な修練方法も書かれていますが、要は手に意識を集中することだそうです。

 

レイキではありませんが、レイキとまったく同じパワーだと思います。ですから、レイキの実践にも役立つ内容だと思います。

ただ残念ながら絶版で、今は中古でしか手に入りません。再版されることを期待します。