日本と霊気、そしてレイキ

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[仁科まさき/MyISBN – デザインエッグ社(Kindle版)]

「マイホーム・レイキ」の著者、仁科まさきさんの電子書籍です。Kindle版、またはオンデマンド印刷のペーパーバックとして購入できます。

この本は仁科さんが、レイキの歴史、社会との関わりについて興味を持ち、それをまとめておきたいと考えて書かれたものです。

 

電子書籍にした理由を、仁科さんはこう言っています。

電子書籍では、分量や内容の制約もないことから、かなり個人的な見解でも自由に書くことが出来ました。

そしてこの本の読者層についても、このように言っています。

本書は、レイキ初心者のための本ではなく、すでに一定の知識や経験を持った読者を前提にしています。

私はどちらかと言えばレイキ初心者なのですが、この本を読むことで、レイキの歴史的な背景や、伝わってきた様子がよくわかりました。

なので初心者かどうかと言うより、そういうレイキの背景に興味があるかどうかが重要なポイントだろうと思います。

もちろん、指導者クラスの人であれば、こういった内容を知っておくことは、指導に深みをもたせる上で重要だろうと思います。

 

この本の章タイトルを書いておきます。

第1章 霊気以前の代替療法
第2章 霊気の始まり
第3章 霊気以外の手当て
第4章 臼井霊気療法学会
第5章 林忠次郎先生
第6章 過去と現在の接触
第7章 戦争への道
第8章 占領下・戦後の日本
第9章 西洋への伝搬
第10章 日本の西洋レイキ
第11章 霊気とレイキの比較
第12章 生き残った代替療法

このように、非常に広範囲にわたって、レイキに関する情報が書かれています。

レイキの枠を超えて、代替医療全般についても触れられているので、当時の日本の状況が想像できますね。

しかも、それらが文献に基づいて書かれているところが、素晴らしい点だと思います。

レイキの世界を深く知るのに、とても役立つ本だと思います。

マイホーム・レイキ

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[仁科まさき/BABジャパン]

レイキスクール「香りの森」を運営されている仁科まさきさんは、西洋レイキのマスターであるとともに、直傳靈氣の大師範でもあります。

その仁科さんが、家族の健康管理にレイキを使うために書かれた本です。

この本は、家族の不調のケアや、病気の予防など、レイキで健康を守ることにスポットを当てた、これまであまりなかったタイプの本です。レイキの本来の実力を知ってもらい、日常で活用していただくために書きました。」(p.3)

最初にこのように、この本を紹介しています。

 

レイキは、ただ手を当てるだけで心身を癒し、病気を予防することができます。ただ、時間がかかるのが短所とも言えます。

しかし、見方を変えれば、その短所が長所にもなるのです。特に家族という親しい関係においては、「時間がかかる=時間をかける」というメリットがあるのです。

病院なら、1時間かけて治療してもらうより、同じことが1分で済むなら、その方が良いでしょう。

でも風邪をひいた時など、家族が傍に寄り添ってくれるなら、1分より1時間の方が、ありがたいと感じませんか?

そう、ただ手を当てて寄り添ってくれることが、しかも長い時間をかけてくれることが、愛情表現になるのです。

レイキは、レイキをすることで、自分にとってその人が大事だということが伝わるのです。子供に言葉を使わないで愛情を送ることもできますし、親に言葉を使わないで愛情を伝えることも出来ます。」(p.43)

私が両親に対してレイキをしてあげたときも、このことを強く感じました。レイキは愛なのだと思います。

 

仁科さんは、レイキは単なる癒しの手段ではなく、生き方そのものだと言います。

単純に手を当てるということ自体、それを心を穏やかにして自然体で実行すれば、実はレイキは生き方になるのです。
 他人に何かをしてあげよう、この人の力になってあげようという優しい気持ち、結果を相手に任せようという謙虚な心持ち、相手に喜んでもらう嬉しさ、自分にもエネルギーが流れるありがたさ、そういった素晴らしい気持ちや感謝が自分の生き方に反映されてきます。レイキをするという行為、レイキをしながら起こる心持ち、自然と生まれる相手に対する感謝の気持ち、自分に対するポジティブなイメージ、このような素晴らしいことができるように作られた自然や宇宙に対する感謝や敬意、これらは技法ではありません。精神世界という単語で表現できるものでもありません。これらは生き方そのものと言えるのです。」(p.260 – 261)

レイキのことを知れば知るほど、私もこのことを実感しています。

レイキをすることが愛であるなら、レイキはまさに生き方そのものなのです。

 

また仁科さんは、「レイキは自然な意図のないエネルギーだ」と言われます。私はこの表現を、本当に素晴らしいなあと思いました。

なぜなら、意図がないということは、相手を自由にさせるということだからです。

病気を治してあげるというのも意図になります。ですからレイキでは、病気が治るようにと念ずることはご法度です。ただ相手の存在を感じ、愛しく思っているだけです。

病気が治るかどうかは、相手の自由なのですから。

愛が自由であることは、ちょっと難しく感じるかもしれませんが、このことがわかると、本当の愛の素晴らしさが理解できると思います。

そしてレイキをしてあげることは、その理解を深めてくれると思っています。

癒しの手 心もからだも元気にするレイキ・ヒーリング

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[望月俊孝/ゴマブックス (Kindle版)]

宝地図で有名な、ヴォルテックスの望月俊孝さんが書かれた本で、レイキの普及に大きく貢献しています。

あなたにとってもレイキとの出会いが、あなたの可能性を開き、本来の愛と光に溢れた存在であることを思い出すきっかけとなることでしょう。

まえがきの中で望月さんは、このようにレイキを紹介しています。これは望月さん自身が、レイキと出会うことによって自尊心を取り戻した体験があったからです。

 

レイキというのは、要はハンドパワーの一種です。手をかざすことで、そこから気が出て、受け手を癒やすことができる。

昔から病気や怪我の治療を「手当て」と呼ぶように、患部に手を当てることで傷病の回復が促進されることは、知られていたことなのでしょう。

しかし望月さんは、レイキは必ずしも病気を治すものではないと言います。

問題を抱えている人、病氣で苦しんでいる人は、そのことによって宇宙の真理と出会うチャンスが来ているのかも知れません。問題や病氣を忌み嫌って、撲滅する対象ではなく、それを通じて大事なメッセージが与えられようとしています。
 目に見える部分(現象面)では病氣治療・問題解決が目的でも、それを通じて魂を磨くことが求められているのかも知れません。病氣(問題)は、その背後に必ず幸せを一緒に連れてやってきています。
「世の中に起こることは素晴らしきことと学ぶべきことがある」と言いますが、そこから何を汲み取るかが、一番重要なことだと思います。日本の超心理学におけるパイオニアであり、手当療法についても造詣が深い井村宏次氏は「病氣とは生き方を問い直すチャンスである」と言っています。

私も両親に対して初めてレイキをしたとき、病気が治るかどうかは別として、レイキの素晴らしさを感じました。

それは、ただ傍に寄り添って手を当てながら長い時間を過ごす、ということの素晴らしさです。

もしレイキを知っていなかったら、親に対してこのようなことができたでしょうか?

足を擦ってあげることさえ、恥ずかしくて言い出せなかった。そんな自分が、1時間でも2時間でも、親の身体に触れていることができるのです。

 

またレイキを極めることは、真理に触れることでもあります。

最新の心理学の唱えるところでは、人間の抱く恐れは究極的には「神から離れた、離された」という分離感から生じるとされています。全ての問題は突き詰めれば、この神や光との分離感から生まれると言ってもよいのです。
 逆に言うと、その分離感を癒す、つまり「私は神と光と一体である」という自覚が呼び醒まされれば、小さな問題は大したことではなくなっていき、氣がつけば解決されたも同然になるのです。その意味でレイキはあなたと神とをつなげる、光との一体感を取り戻すので、思いがけぬ効果も期待できるのです。

レイキでは、シンボルとマントラ(呼び方は流派によって違いがあります。)を使って、その効果を高めることができます。

その中でも第4のシンボルは強力で、これをマスターシンボルなどと呼びます。

そのシンボルを使うことで、ハイヤーセルフ(いわゆる魂)とつながったり、また過去の聖人の意識とつながることもできると言われています。

ここまで言うと、かなりスピリチュアルで、ちょっと宗教ぽく感じられるかもしれません。

しかし、宗教とスピリチュアルは同じものではなく、レイキは宗教とは無縁です。その詳細な説明は省きますが、念の為に言っておきます。

 

レイキは、誰でも靈授(アチューンメント)と呼ばれる儀式のようなものを受けることで、その能力が開花します。

また、その能力を得るのに特別な訓練も必要なく、アチューンメントを受けたその日から、レイキを使うことができます。

そして、一度レイキの能力が開花すれば、一生その能力が消えることはありません。

気功で言われるような、 他の悪い氣を受けてしまうというようなこともありません。

このように、レイキはメリットが多く、デメリットの少ないものなのです。

この本を読んで、レイキを習おうと思った人は多かったと思います。私もまた、その中の1人なのです。