最近読んだ本で「魂の法則」というのがあります。著者のヴィセント・ギリェム氏が幽体離脱した時、出会ったイザヤという老人から教わったことが、対話形式で書かれています。
他のブログで紹介していますので、そちらもご覧ください。
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この中で、レイキのことが紹介されています。
病気がアストラル体(エネルギー体)のエネルギー低下から生じるという話の後で、アストラル体にエネルギー的に綺麗にすれば病気が良くなるのかという問いに対して、以下のようにイザヤが答えています。
「特定の運動(ヨガ)をしたり、人がパイプとなってエネルギーを供給したり(レイキなど)、生体エネルギー発生器などによって、悪い流れを取り去り活力を与えることができる。
エネルギー治療は、アストラル体レベルに作用し、疲弊したエネルギーを洗い流し、そこに新しい活力を供給し、気の流れを修復する。生体エネルギーを用いた治療は、病気の回復を促したり、症状を緩和させることに貢献する。
だが、エゴ的な感情を放棄できなければ、アストラル体の乱れが再発し、その結果、肉体の病も再び出現することとなる。それゆえ、霊体、メンタル体、エネルギー体、肉体を総合して、治療に取り組むべきである。」(p.301)
ここで初めて出てきたレイキについて、次のように説明しています。
「レイキとは、宇宙の生命エネルギーを利用する自然療法の一つで、肉体的、精神的な病気の治療に役立つ。レイキは、宇宙的生命エネルギーを意味し、それを発見した日本の先駆者に命名された。
現在ではその名前で有名になってはいるが、健康改善を目的としたエネルギーの授受は、何千年も以前から、磁気やプラーナなどの様々な名称の下に行われてきた。それは、「奇跡の癒し」と呼ばれたイエスの手かざしのことなのだ。」(p.301)
以下、さらに詳細なレイキの話が繰り広げられます。ギリェム氏が質問し、イザヤが答えています。長くなりますが、レイキに関する部分を引用します。
「レイキは何を基本としているのですか?
レイキのセッションは、不快感や症状を緩和したり除去するために、送り手またはパイプ役となる人が、自分の手を通して、生命エネルギーを受け手に伝達するのが基本だ。送り手となるのは、自分自身でも他者(人・動物・植物)でも良い。
レイキは、アストラル体のレベルに作用し、エゴ的な感情が原因のエネルギーブロックをとり除くのに役立つ。
だが、外傷または中毒など、完全に肉体的な要因による不調の場合には、損傷を受けた部位の気の流れを復活させ、痛みを緩和し、体組織の再生を促す。
アストラル体の構成や気の流れやチャクラについて知り、感情的な問題と影響を被る肉体箇所との関係を理解すると、正しい位置に手を置けることになり、損傷を受けた部分の気の流れを再生できる。
でも、癒しのエネルギーは、どこから来るのですか? 送り手からですか、宇宙からですか?
生命エネルギーは、宇宙のあらゆる場所に存在し、レイキの担い手は、それを必要としている人に集中してエネルギーを向けようとする。時々、送り手となる人が周囲からエネルギーを集められなかった場合に、自分自身の生命エネルギーを譲り渡してしまうことがある。
また、霊的な存在にエネルギーの伝送を手助けしてもらっている人も多く、その人の能力がずっと高められる時もある。この場合は、意識の高い仕事は霊的な存在たちが行っており、レイキの送り手は、癒しの魂たちが肉体とエネルギー体に近づけるための媒体として機能する。
人が自分自身のエネルギーを与えてしまうについては、どんな理由があるのでしょうか?
過度に力を投入する、集中力の不足、リラックスできていない、私心なく助けようとしていない、精神的あるいは肉体的な悪習、などが原因だ。
レイキのセッション中に以上のようなことがあれば、送り手は疲れきり、エネルギーが不足し、受け手の不快な症状まで自分で感じてしまったりする。
レイキができるようになるためには、何が必要ですか?
レイキが効力を発揮するために最も重要となるのは、送り手が、仲間を助けようとする意志を持つことで、愛を実践して自分のアストラル体の波動を高めることだ。
積極的にエネルギーを受け取ろうとする受け手の姿勢も大切だ。その人がどれだけ素直に信頼することができるかどうか、にもよるからだ。受け手が、レイキに効き目がある筈がないと思ったり、送り手を信用していなかったり、エゴを捨てて愛をとる自己変革をする意志がなく、エネルギーを拒否すれば、その人のチャクラは閉じたままで、送り手にどんなに力があろうと、気は流れない。
ラジオ放送と似ている。番組を聴くためには、強い信号を放つ優れた発信機が必要だが、受信機をつけて正しい周波数に調整するのも、同じように大事だろう。
その後は、スポーツと同じで、継続して練習することで、回を追うごとにエネルギーの伝達能力が高まり、もっと大きな波動となる。非打算的に助けようとする意志があれば、いつも最善の結果を得ることができる。
さらに、肉体を浄化させれば、エネルギーが身体を通過する際に、波動が低下してしまうこともない。そのためには、菜食と、身体の器官にとって有害となる、アルコールやタバコ、その他すべての薬物の消費を控えることが必要だ。
エネルギーを送ることができるようになるためには、レイキマスター(ティーチャー)がその人のチャクラを事前に開ける必要があるというのは、本当ですか?
その必要はない。伝送能力は、魂の進化の力量と、他者を助けようとする意志の練習とによる。私利私欲をなくして行うほど、霊界からの援助は大きくなる。
先生の役目は、生徒の潜在能力を開花させることだが、独学も可能だ。スポーツのように、練習すれば能力は増す。そして、他者を助けようという意志があれば、霊界から必要な援助を授けられる。エネルギー伝授の真の達人がいるのは、霊界だからだ。
レイキの段階を取得するための有料の講習がある、と話しているのを耳にしましたが、その件に関して、どうお思いですか?
お金と引き換えに、天国に行けると文書で約束した免罪符と同じような商売だ。最初にレイキを始めた臼井甕男氏が無償で行ったというのに、その継承者たちがどうしてお金を取るのだろうか?
繰り返すが、レイキを始めるために、イニシエーションをする必要などない。どれほど有名であろうと、見返りとしてお金を要求するような人から受けるイニシエーションであれば、なおさらだ。なぜなら、それでお金を儲けようとしているのなら、自称するほどレベルが高くはないからだ。
真のマスターは、万人のエネルギーでお金を取ろうとしない。伝達者に過ぎず、謙虚であるので、マスターと名のろうともしない。
ここに、イエスの手本がある。エネルギーで多くの人を癒し、弟子たちへの伝授もしたが、誰からもお金を受け取らなかった。
講習だけでなく、レイキのセッションでお金を取る人もいますよ! これについては、どう思われますか?
宇宙エネルギーは、それを扱う人の所有物ではなく、お金を払わずに使用できるものなので、同じく無料で与えねばならない。
レイキでお金を取る人たちは、自分自身のエネルギーや自分が努力して周囲からかき集めたエネルギーを扱うのだろう。
だが、高波動の霊的存在たちからの手助けは期待できない。彼らと同調するためには、心を浄化し、他者を助けたいという無私の思いが必要となるが、お金を取る者には無私の志はなく、金銭的な利益を得ることに関心があるからだ。
でも多くの人が、レイキで儲けようとしているのではなく、それで時間が取られるとサラリーマンはしていられないし、何かで暮らしを立てる必要があるから、と言っていますよ。
それなら、エネルギーの伝達では生計を立てようとしないことだ。経済的にやっていけるように、他の活動で報酬を得られる仕事を持ち、自由な時間にレイキをすれば良い。これは、意志の問題だ。
しかし実際には、レイキでお金を取る者の多くが、生活を維持するだけでなく、それによって儲けようとしている。レイキの料金は、オーラを綺麗にするというよりも、それにひっかかった愚か者の財布の中身を綺麗にしてしまうほど高いことがあるからだ。
イエス自身も、「神のものは神に、皇帝(カエサル)のものは皇帝に返しなさい」と言っている。
物質的に自立する必要があるのなら、実際的な仕事でそうするように努めなさい。霊的な仕事を介してはならない。霊性にお金を関与させるのは、やめなさい。霊性が穢(けが)れてしまうのだ。
君たちを助けている指導霊たちは、君たちからお金を取るだろうか? 彼らがそうしないのならば、彼らを見習って君たちもそうしてはならない。しかも、自分には能力があるのでお金を取る資格があると思っていると、本当にそうなって、自分自身のエネルギーしか使えなくなってしまう。
「神と富とに兼ね仕えることはできない」ということを肝に銘じて欲しい。現在の言葉に置き換えれば、愛とエゴとに兼ね仕えることはできないという意味だ。それらは、相容れられない対立する概念なのだ。
エネルギーを貰う代わりに、お金であろうと他のものであろうと何かを引き換えにあげる必要があるので、これは交換をしているに過ぎない、と言う人たちもいますが。
それならその人たちは、無条件の愛という、何の見返りもなく与える行為を知らず、また理解したくもないのだ。見せかけの霊性で外側を装おうとしていても、見習うべき手本とはならない。
それを忘れないようにしなければ、霊性復興運動も、あげくの果てにはキリスト教と同じことになってしまう。つまり、皆の偉大なマスターだと勝手に名乗り出る者が現れて、自分の富と権力への渇望を満たすために、聖なる教えを管理し操作し始めてしまうだろう。
でも、有料レイキに効果はあるのですか、ないのですか?
効果はあるかもしれないが、無料で行うレイキよりは、常にずっと貧しい結果しか得られない。効果は、助けたいという思いの強さ次第だからだ。
大半の場合には、他者を助けたいという思いと、何かと引き換えに行おうというエゴとが混在している。善意によって得られる効用も、私欲で失われてしまう。
一つはっきりさせるが、エゴがあると与える前に貰おうとしてしまうので、癒しにはならない。エゴに委ねる人は、本当は他者を助けようとは思っていないので、助けてあげることができないのだ。
お金を取っているならば、それが他者を助けるためなのか、自分が有名になるために他者を利用したいのか、あるいは自己の物質的な欲求や期待に沿うためなのかを、分析してみるがよい。
イエスがあれほど優秀なエネルギーの担い手で、奇跡と思われたほど素晴らしい強力かつ迅速な結果を得ることができたのは、一体どうしてだと思っているのかね? それは彼が、無条件の愛を感得するに至った魂だったからで、その愛が、エネルギー次元で顕現する時に高振動のエネルギーとなり、それに肉体的または霊的な障害を癒す力があったからだ。
多くの者が、イエスがしたことをできるようになりたいと思っているが、彼らには本質的なものが欠けている。それは、無条件に愛するということで、エゴを--虚栄心・自尊心・自負心を--放棄しなければならないのだ。
イエスがしたことをできるようになりたいか? それなら、他者に何かをしてあげる度に、集金してまわるのはやめなさい。イエスが癒しに対してお金を取っていたとしたら、高次の存在ではあり得なかったし、高次の霊たちからも支援されなかったので、癒しそのものが不可能だったろう。」(p.302 – 308)
ヴィセント氏(イザヤ氏)が言うことが正しいかどうかは何とも言えません。私は、少し違う考え方をしていますので。
しかし、こういう考えがあるということを知っておくのも良いと思って、ここで紹介しました。