最近読んだ本で、難病の治療として手当てを使った例が紹介されていました。厳密に言うとアチューンメント(霊授)を受けたレイキではありませんが、私は実質的なレイキだと感じました。著者は「食といのちを守る会」代表の青木紀代美さんです。
他のブログで紹介していますので、そちらもご覧ください。
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青木さんの手当て療法の体験は、「(第五章)手を当てる」に書かれています。ここから重要な部分を引用してみましょう。(引用文の中の太字は私の編集です。)
配送員の高橋さんは、奥さんがお子さんを連れて出て行ってから酒浸りになり、肝臓をやられてしまっていました。その高橋さんが事務所に来て悪態をついていて、メンバーは困り果てていたのです。
その知らせを受けた青木さんは、放っても置けずに事務所にやってきて、高橋さんの面倒を見ることになります。
「「……高橋さん、ご無沙汰しています。体調がお悪いと聞いてやってきました」
横になっていた高橋さんはむっくり起きました。
見ると、顔が黄みがかった土色で、むくんでいます。腹水がたまっているのか、おなかはパンパンに膨れていました。
「どうしました? どんな具合ですか?」
「見たとおりだよ」
「おなかが大きいようですが、それ、腹水ですか?」
「そうだよ、もう治らないってさ。入院しろっていわれたけど、治らないのに入院してどうするんだっていって、出てきたんだ」」
(p.221)
「さてどうしたものか、何かしてあげることはないかしら?
「高橋さん、夜眠れますか?」
私は聞いてみました。
「青木さん、あんた何もわかっちゃいないね、腹水がたまっているというのはね、オオカミの腹に石が入ったようなもので、左を向いて五分、右を向いて五分、そんな具合に夜中じゅうゴロゴロするしかないんだから寝られるわけがないじゃないか。酒でも飲めば寝られるだろうが、今は酒も飲めないんだ、眠れるわけなんてないよ」
それで行くあてもなく、事務所に入り浸っていたのでしょうか。取りつく島もありませんが、だんだん気の毒になってきました。何か、喜ぶとまではいかなくても、気持ちが安らぐようなことはないものかと、思いつくままに話してみました。
「あのね、私の手から電気が出るみたいで、さすってあげるとみんな気持ちいいっていうの。だから高橋さんのおなか、さすりましょうか?」
高橋さんは不思議そうな顔をしています。私はもう一度、聞いてみました。
「高橋さん、さすりましょうか?」
「ああ、さすってくれ」
おなかをさすりはじめても、高橋さんは相変わらずあれこれ悪たれをついています。私の胸の中も、いろいろな思いがくるくると巡ります。
(この人、このまま死んじゃうんじゃないのかしら……)」
(p.222-223)
死んだからといって放って置くわけにもいかないので、青木さんは高橋さんに、死んだ場合のこととか尋ねたそうです。墓はどうするのかなど。
「そのうち、何もしゃべらなくなりました。
近くにいた事務員さんが「死んじゃったのかしら」と不安げに見ています。「じっとしていられない」といっていた人が、じっとしています。しばらくみんなで途方に暮れていました。一番若いスタッフが「でも、胸が少し動いているみたいです」とささやきます。裸電球の暗い事務所。顔を寄せると、高橋さんがかすかに息をしています。眠っています。
「ああ、驚いた! よかった」
ほっとしたものの、こちらも疲れが一気に出たようです。時計を見ると、もう五時を回っています。
「五時だからみんな帰って。私はもう少しさすってから帰るから」
みんなはそっと部屋を出て行きました。それからまたさすりだして気がつくと夜の七時。四時間ほどさすったことになります。そのあいだ、高橋さんは何もいわずスヤスヤ寝ています。」
(p.225)
高橋さんが起きないので、青木さんは置き手紙をして、いったん帰宅しました。食事の支度などをする必要があったのです。夜の9時に事務所に電話をしても誰も出ないので、念のために高橋さんのアパートに電話をしました。すると、高橋さんが電話に出ました。
「「おれだよ、おれだよ」
高橋さんです。時刻はちょうど一〇時でした。
「どうしたんですか、高橋さん。私、心配で心配で……」
「うん、手紙見たよ。もう、喉が渇いて喉が渇いて……それで目が覚めたんだ。水道の蛇口からガブガブ水を飲んだ」
「そうだったんですか」
「トイレに行ったら、炭火焼コーヒーのような真っ黒に近いおしっこがドッと出たんだ。水を飲む、またおしっこ、その繰り返し」
「まあ……」
言葉が出ませんでした。
「でもさ、濁ったようなおしっこが、どんどん紅茶のように澄んできた。やたら眠くてしょうがないから、這うようにして家に帰った。そこへ、この電話だ……」
電話の向こうで高橋さんがのんびり話しています。
「高橋さん、すぐ寝てください」
「うん」
「明日もまたしましょうか、あたしの手ってすごいでしょう」
「うん、すごいね。またやってくれ」
それから一〇日間ほどさすりました。」
(p.226-227)
高橋さんは、重度の劇症肝炎だったのです。その後で診断した九州大学健康科学センター教授の藤野武彦先生は、以前の診察データと比較して、ものすごく良くなっていることに驚かれたそうです。
「私が送ったデータがすごく悪い数値だったので、藤野先生はどんな患者かと心配していたようでした。それが、格段に数値が良くなっているというのです。見た目には、高橋さんはすっかり元気そうです。おなかがパンパンでもなければ、肌色も悪くはありません。
先生は再度、「青木さん、なんかしたでしょう? 漢方薬かなんか飲ませました?」と聞いてきます。そうそう、あれ以来、おなかを一〇日間ほどさすったことをお話しました。先生が「それそれ、それですよ」といって、高橋さんに向かって、
「高橋さん、あなたは青木さんに救われたんですよ。あなたの病気は劇症肝炎です。検査の数値はすさまじいものでした。とても厳しい状態だったんですよ。下手をしたらあっという間に死んでいたかもしれない。ここまで回復したら、病院に行かない手はないでしょう。あなたはいま奥さんがいないらしいから、きちんと食事が摂れないでしょう。大事なのは食事です。今のままじゃどうにもならないから、病院でちゃんと食事を出してもらいなさい。そしてちゃんと点滴を受けて、栄養をしっかり取りなさい。点滴については私が病院にきちんとお願いしますから」
そうして彼は回復しました。」
(p.228-229)
レイキでは、西洋医学を否定はしません。ですから、薬を飲んで病気を治すことをダメとは言いません。それぞれに良い点があるので、それを最大限に生かす治療が必要なのだと思います。
「弱虫の息子の具合が悪いとき、私はただただ困って、祈るような気持ちで、わけもわからず淳の体をさすっていました。親が子どもをさするのは当たり前。昔からみんなそうやってきました。特別のことではありません。でも他人様(ひとさま)をさすったのは、はじめてでした。
「あたしの手から電気が出るのよ」なんて、子どもだましもいいところです。でもそういったほうが受け入れてもらえそうだと思ったのです。私なりに必死でした。」
(p.229-230)
青木さんは、そんな効果があるなんてまったく思っていなかったのですね。ただただ寄り添い、祈るような思いでさすった。これはまさにレイキの本質だと思いました。
こうして青木さんの特別な能力が、他の人に知られることになりました。困っている人から「さすってくれ」と依頼されるようになったのです。青木さんは、自分にできることならと、積極的にさすってあげたそうです。
「それぐらいのことでお役に立つのならいいかなと、ついつい引き受けてしまいました。専門知識があるわけではありません。治療しようと思っているわけでもありません。よくわからないけど、困っている人のお役に立つことならと、心をこめてさするようになりました。
さすられているあいだ、多くの人はとにかくよく眠ります。深い眠り。よっぽど疲れているのでしょうか。その人に寄り添って手を当ててさすっているだけですが、相手の方はそれだけで気持ち良さそうです。」
(p.230)
治そうと思わずに、たださする(手を当てる)。これはまさにレイキです。そしてレイキの特徴でもある、「眠くなる」という反応が出ています。
青木さんは、映画監督の黒澤明氏をさすってあげたこともあったそうです。また、ホーキング博士の病気として知られるようになった筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者、当時40歳のOさんにも、藤野先生からの依頼で手を当てることになったそうです。
「「僕はなんとかあと八年生きたいんです。三人の子どもがいて、一番下が幼稚園、あとの二人は高校生と大学生です。八年すると、下の子が大学生になる。上が社会人になって、下の面倒を見てくれると思います。それまでは死ぬわけにはいきません」
そんな……そんな責任の重さに応えることができるでしょうか?
でも、迷っていても仕方ありません。
「わかりました。全力でやってみます」
何を、どうしたらいいのかわかりません。目の前にいる方のことをあれこれ想像しながら、一生懸命さすりました。三人のお子さん、一緒にいらっしゃった奥さまのこと。建築のお仕事。病いの恐れ。そんなことで私の頭はいっぱいです。一瞬でもいい、ゆったりとしてもらいたい。そう思いながら、ただたださすりつづけました。早ければ二年で人工呼吸器をつけなければならなくなってしまうかもしれない人。その人が笑顔でいられるために、この私に何ができるのでしょうか。
その日から毎週一回、土曜か日曜、ずっと手を当て、さすりつづけました。」
(p.234-235)
「そして、八年がたちました。
「おめでとうございます。八年たちました。よかったですね」
と語りかけると、彼は「八年って何でしたっけ?」とポカンとしています。説明すると、
「ああ、そんなこといいましたっけね。でもまだ手を当ててください。これからもよろしくお願いします」
それから七年、同じ間隔で手を当てつづけ、やがて月に一度のペースになりました。かれこれ二〇年のお付き合いになります。」
(p.235-236)
40歳で出会ったOさんは、大企業を辞めて60歳で独立されたそうです。病気が治ったわけではないようですが、進行が止まっているのでしょう。
「Oさんからいわれたことは、私が体をさすると眠くなり、恐怖や不安でコチコチだった頭がゆったりして、いい気持になること。しかし、なぜそうなるのか、私にはさっぱりわかりません。」
(p.236)
私の母も、レビー小体型認知症でしたが、私は帰省するたびに母からも請われて、レイキをしてあげました。1回1~2時間を1日に2~3回します。母はよく、気持ち良さそうに眠っていました。
藤野先生は、青木さんの手から何が出ているのかを調べようとして、青木さんに協力を求めました。青木さんが患者さんをさすっているときの、患者さんの脳波や心電図などを測るのです。青木さんは、何の病気か知らされていない患者さん5人を、30分ずつさすったそうです。
「しばらくすると患者さんは眠りはじめます。なぜそうなるのかはわかりませんが、私がさすると、皆さん眠くなるのです。やがて、うしろのほうで「おお……」という声が上がりました。計器上に何かの変化があったのでしょうか。「ほう……」という声も聞こえてきます。うしろのことなので、何が起きているのか私にはわかりません。
「おお……」とか「ほう……」という声が気になったので、実験後、あれは何ですかと尋ねました。
「あれはね、青木さんの気がわかった瞬間です。何かというと、今日の患者さんの脳波で一番反応があったのがアルファ波だった。すべての人の針が振り切れるほど、アルファ波の反応が起こりました。つまり患者がいい気持ちになったということです。
治らないかもしれないといわれた患者さんや手術後の患者さんは、ものすごい恐怖で、不安だらけになっています。眠るとか、ゆったりするという気持ちになれず、ベッドで悶々としてしまいます。医者としては、仕方なく安定剤や睡眠薬を使って強引に寝てもらうんだけと……。
患者さんにとっては、リラックスしてなんかいい気持ち、というアルファ波の脳は状態が一番必要なのに、こればっかりは医者の力ではどうにもなりません。しかし青木さんが手を当てると、脳の中でアルファ波を示す針が振り切れるくらいになりました。青木さんの気は、脳内をアルファ波で満たすんです。それが病気を治すときの大切な要素なんです」
「そうなんですか? 私はただ体をさすっているだけで、すみません」
「青木さん、あなたが出す気の力はすごいのですよ。」
(p.237-238)
レイキをやっていると、行う側も受ける側も、ともに眠くなることが多々あります。これはきっと脳波がアルファ波からシータ波になっているに違いないと、私は思っていました。青木さんの事例によって、レイキがすべてそうだとは言い切れませんが、1つの実証結果になるのではないかと思っています。
またある時、青木さんは、藤野先生からの依頼で、難病の患者さんに手を当てることになったそうです。西洋医学では手の施しようがない病名もない難病です。
「息子さんにしてみれば、変なおばさんの登場です。祈祷師でも来たのかと思ったのでしょうか。目を合わせてくれません。
「気を悪くなさらないでください。私はヒーリングができるということでお役に立てればと思って来ました。この手当で少しでも気分がよくなればいいと、知り合いの藤野先生から頼まれましたものですから」
そういって、いつものように足裏を揉むことから始めました。左足に手を当てて、しばらくしてから右足に当て、そしてまた左足に戻ると、私の手に、何かとてもおかしな感覚が伝わってきました。
「左側が何か変なんですね」
そういうと、彼はこうつぶやきました。
「そうでしょう、ぼくが左のほうが悪いといっても、誰もそうだといわないんだ、気のせいだと」
少し怒りがこもった言葉でしたが、私への信頼の兆しがちょっぴり見えました。
足の裏から背中へ、一時間ぐらい手を当てました。それが金曜日午後の一回目。夕方五時からもう一度の予定で、お母さまとロビーでお茶を飲んでいると、I先生がニコニコしながら駆け込んできました。
「すごいですね、青木さん、今までびくともしなかった数値が下がりました」
夕刻、もう一度手を当てました。また数値が下がりました。手を当てるたびに下がりました。それまでずっと数値は下がらず、どんな手を打っても変化がなかったそうです。ふつうなら、たとえ下がっても、一旦リバウンドして上がったりまた下がったり、それをくり返してふつうになるそうです。
「青木さんのはリバウンドがない、一直線に下がる」
お医者さんたちがみんな驚いているそうです。ああ、よかった。それを聞いて、私の緊張も少しとけ、心が軽くなりました。
金曜日三回、土曜の朝、昼、晩と三回ずつ、日曜は朝と昼、二回手を当てつづけました。半信半疑の彼に「また来週きます」と告げて帰りました。結局、私は週三日、二年ほど通いました。私が通うようになってから二ヶ月くらいして、彼は大学病院から自宅へ戻されました。自宅といっても、設備の整った病院です。よかった、ひと安心です。」
(p.241-243)
こうして難病の青年は、だんだんと回復していきました。その過程で青木さんは、なんと遠隔治療も行ったようです。しかも見よう見まねで。このことからしても、シンボルやマントラを使わなくても遠隔ができる、ということが言えるのだと思っています。
「あのころ私は北海道の中札内牛乳のことで飛び回るのに忙しく、でも彼のことがずっと気になっていました。それまで一度もしたことがなかったのですが、思い切って「遠隔」で気を送ることを試してみました。気功をする人は、離れた場所からでも気を送って治療するそうです。遠く隔てた場所から気を送ること、それを遠隔治療と呼ぶことを聞いていました。私にもそれができるといいな、気休めでもいい……と、思い切ってやってみたのです。私に気の力があるかないかはさておき、患者さんはステロイドをたくさん投与されているため鬱っぽくなっているとご両親から聞いていました。ステロイド鬱と呼ぶのだそうです。本人の不安や心配をしっかり聞いて、ただうなずいてあげたかったのです。
「耳に受話器をあてて、片方の手を頭のどこかに置いてください」と伝えてから、目をつぶって気を送りはじめました。毎晩、約束した時間に、電話で気を送りました。
「もし自分の病気が治っても、こんな僕に、できる仕事なんてない」と彼は嘆いています。私はこういいました。
「お医者さまになるのがいいと思います」
「二年のブランクがあるので、医師の国家試験なんてとうてい無理だ。ステロイドの副作用で骨密度が下がると、股関節に金属を入れる手術を受けるらしい。でも九年間ぐらいしかもたないらしい」としょげています。
今度は、股関節を中心にヒーリングをしました。
「つらい病気を乗り越えた人だからこそ、きっといいお医者さまになれますよ。患者さんの求めるようなドクターになれると思います……」
心から、そう思い、そう励ましたました。
数年後、彼は見事に国家試験にパスして、内科医になりました。ステロイド漬けだった体を案じていましたが、結婚し、男の子と女の子のお父さんになりました。」
(p.243-244)
遠隔治療も行いながら、西洋医学から見放された難病に対処された青木さん。そしてその結果は、みごとなハッピーエンドでした。
青木さんはその後も、月に10~20人ほどの人の体をさすってあげたそうです。頼まれればすぐに行って、さすってあげたのだとか。
「私自身、なぜそんなヒーリングのようなことができるのか、実のところよくわかりません。そういう修行をしたわけでもないし、習ったこともありません。私でお役に立てるのであればどうぞ使ってくださいという感じなので、お礼は遠慮しています。」
(p.245)
青木さんは、実に謙虚な方だと思います。仮に習っていなくても、これほど実績を上げておられたら、少しは自慢したくなるものです。この謙虚さが、まさにレイキ的ではあるのですけどね。
「もし私の手当てが必要だと思う人が現れたら、私はなんとしてでも伺います。ちょっと具合が悪い程度でも、こちらから行って差し上げるのがいいと思っています。野菜スープの話で書いたように、具合の悪い人にとっては、ちょっとのことでも大変な時があります。そういう場合、こちらが動くことで相手の方が少しでも楽になると、それをはずみに快方に向かうことがあります。経験的に私はそれを知りました。ですから、最初のヒーリングにはなるべくこちらから出向くようにしています。そして、思いっきりその人を認めて、温めます。私にできることは何だろうと考えながら、一緒の時間を過ごします。そのように接すると、相手の方は元気を取り戻していくようです。こういうことは、誰にでもできることだと私は思っています。」
(p.246)
ただ寄り添って相手のことを思い、同じ時間を過ごす。こういう誰にでもできることを心をこめて行う。それがまさにレイキなのです。
「藤野武彦先生が、サンデー・サイエンスの集まりの場でこういいました。
「人の気には色がある。同じ色の人同士は互いに癒し合える。だけど、色が異なるときはその組み合わせによって癒せる時と癒せない時があるものです。ところが青木さんは、気の色が無色透明だ。きっとあなたは誰に施術しても大丈夫です」」
(p.246)
気の色が見えるのかどうかはわかりませんが、私もレイキの気の色は無色透明だと思っています。なぜならレイキは、意図のないエネルギーだからです。相手の自由にさせるエネルギーだから、誰に対しても効果があるのです。
次は、Yさんという乳がん患者さんへの施術例です。手術はしたくないとのことで、青木さんのもとを訪ねられたとか。
「足裏から手を当てて彼女の胸まで来たとき、ちょうど赤貝かちょっと大きめの蛤(はまぐり)ぐらいの大きさの何かが、ぴたっと私の手の平に収まります。皮膚の下は、ギザギザの固い貝殻のような感じ。私の手にはそう感じました。
最初のころ、Yさんに手を当てても、私の手には何の反応も伝わりませんでした。「大したことないのね、手術したくないっていうのがよくわかります。いいと思いますよ、しなくても」なんていっていました。本当にどこかが悪い場合には、私の手にいろいろな反応が起こります。三回手を当てましたが、何もないから大したことはない、もうこれで終わりにしようと思っていました。
三度目を終えたあと、「青木さんに手を当ててもらって自宅に帰ると、よく眠れます。翌朝、気持ちがいい。それだけでも嬉しいから続けてほしいのです」と電話がありました。
「そう。それなら、どうぞどうぞ」
四回目、いつものように彼女に横になってもらい、手を当て、足の裏をさすっていると、私の右手に雷が落ちたような、閃光が走ったような痛みが来ました。「あ、痛い! なんだ、これは?」と驚きましたが、しばらく続けるとそれは消えました。
私は誰にでも同じことしかできません。手当てという術を練習したわけではありませんから。足から脚部、そしておなか、胸、背中と回って、手の平でさすり、温める。これだけです。彼女に対しても、同じことです。すると、ふと気づきました。あの固いものが少し柔らかくなっているような感じがします。それを彼女に伝えました。
「胸の固いのが半分消えていますよ」
「そうなんですよ、柔らかいんですよ」と彼女。へぇ、そう。さっき私の手にピカッと来たのは、良くなっているという証拠かもしれない。
大勢の人に手を当ててわかったのは、触って違和感があると、私の顔のあたりがもやもやして、鼻先に綿あめかクモの糸でもくっついたようにベタベタします。最初は気にもしませんでしたが、具合の悪い人に手を当てると、そういう感覚が残るのです。そのうち筋ジストロフィーをはじめいろいろな重い病いの人に出会うようになったのですが、そういう人に手を当てると、重油のような、ドロっとしたものが私の手から入って腕の付け根まで上がってきます。正体はわかりませんが、そんなものが入ってくるとどうしてよいかわからないので、そのまま三〇分でも一時間でも手をそのまま置いておきます。気長にそれを続けていくと、あのドロッとしたものがふっと消える瞬間が来ます。そこでまた別の場所に移ります。するとまたドロっとしたものが入ってくるので、ああこの人にはまだ悪いところがあるんだなと感じます。そうやって何カ所か手を当てていくうちに、いつしか癒されていくようです。Yさんに触っていて実感しました、「そうか、私の手に来たら、悪いところが治るんだ」と。
Yさんはとても元気になり、私たちのボランティアメンバーになりました。」
(p.249-251)
Yさんの病巣は小さくなり、医者から手術を勧められることもなくなったそうです。青木さんは、手にいろいろ反応があることを言われています。これは日本の伝統的な霊氣では「病腺(びょうせん)」と呼ぶものです。わかりやすく「ヒビキ」と呼んだりもします。
全身に手を当てていくやり方は、西洋レイキのスタンダードポジションみたいですね。ただ、反応があったところに重点的に手を当てるという点は、西洋レイキではイレギュラーです。
そして、顔のあたりがもやもやするとか、ドロッとしたものが腕の付け根まで上がってくると表現されていますが、これは通常の病腺とは違うように感じます。ただ、レイキをされてる方にも、いろいろな感じ方があるのは事実です。たとえば、肩が悪い人で、自分の肩がうずくという方もいらっしゃいました。
いずれにせよ青木さんは、慌てず騒がずじっくり手を当てていらっしゃるのが素晴らしいです。よくあるのは、悪いものを引き受けたと勘違いして、不安になってしまうことです。基本的に相手の悪い気を受けるなどということはないので、安心して手を当て続けることが大事なのです。
「昔の人たちが一番つらかったのは、きっと病むことだったと思います。今日のように病院に駆けこめばいいというものではありません。病気は本来、自己治癒力で治すものだと思います。でも自分の力が出し切れないとき、何かの理由で弱っているとき、誰かに少し背中を押してもらうことで治ることもあると思います。私が病気の人に寄り添い、手を当てて体をさするのは、きっとそういうことなのでしょう。もちろん私が治すのではなく、ご本人が自分の力で元気になっていくのです。そのために、私は少し体を温めたり、不安を取り除いたり、その人のいいたいこと、感じていることを「そうか、そうよね」と丸ごと肯定することで、その人は気が楽になり、胸のつかえのようなものも取れて、すーっと快方に向かうきっかけになるのだと思います。
心が元気になれば、たいていの病気は治るようです。だから、元気がなくなったときは、誰かがそばに寄り添って支えてあげられるといいですね。それが、健康な人の役目ではないでしょうか。」
(p.251-252)
相手を自由にさせるのがレイキの基本です。レイキは愛ですから。ですから、「大丈夫だよ、安心していいよ」という思いで行うものです。それはレイキの「五戒」に表れています。
「この人はどんな気持ちでいるのだろうか。どうしたら気持ちがほぐれて、リラックスするだろうか、いま何が不満なのだろうか、何がつらいのだろうか、どうしたら嬉しく感じてもらえるだろうか。多少間違っていてもいいから、そういうことをずっと考えます。そうして、相手の気持ちや感情や考えや感覚に添ってみる。添って、添って、ずっと添ってみる。その人が何かいったら「はい、そうですね」「なるほど」と、しっかり共感を伝えます。そうやってその人に添っていくと、ある時点で、その人は「よし」と元気になる意欲が起こってくるのだと思います。
つまり、全部イエス。間違っていてもいいのです。
「甘いもの食べたい」
「はい、おいしいお菓子を買ってきます」
「喉がかわいた」
「はい、お茶ですか、冷たい水、湯冷ましもありますよ」
「背中が痛い」
「はい、さすりましょう」
たくさんの「イエス」を与えます。
王さまや女王さまに仕えるように接します。」
(p.253-254)
相手に寄り添うというのは、レイキの基本です。自分がレイキで病気を治してあげるのではなく、ただ相手の自然治癒力が働きやすくなるよう助ける。そしてそれを、ただ待つ。一人では心細いから、一緒に寄り添って待つのです。
相手に共感して聴くという態度は、傾聴法などカウンセリング手法にあります。そういうものも、併用するといいのかもしれませんね。
最後のあらゆることに「イエス」を言うことについては、たしかにそういうやり方もあるのでしょう。青木さんは、看病する時は自分の自由はないと言い切られています。完全に仕えるのです。
そのことで思い出すのは、聖書にある弟ヤコブが兄エソウと仲直りするエピソードです。完全服従の立場に身を落とすことによって、信頼を勝ち得ていきます。どうしてもこの人を救いたいと思った時は、そういう選択肢もあるのだろうと思います。
この本に書かれているのは、青木さんが何もよくわからず手当てをされてきたその体験談です。青木さんはとても素直な方のようで、何ら先入観なしに手当てをされ、その感覚を正直に書かれているように思いました。
私はこれを読んで、レイキの本質がここに現れていると感じました。特殊な能力があるとわかってからも、謙虚に寄り添うことだけを心がけておられる点は、本当に素晴らしいと感じました。レイキ施術者はすべて、そうであるべきだと思います。