レイキでアルファ波が出る

最近読んだ本で、難病の治療として手当てを使った例が紹介されていました。厳密に言うとアチューンメント(霊授)を受けたレイキではありませんが、私は実質的なレイキだと感じました。著者は「食といのちを守る会」代表の青木紀代美さんです。

他のブログで紹介していますので、そちらもご覧ください。

(画像をクリックするとリンク先へ飛びます。)

 

青木さんの手当て療法の体験は、「(第五章)手を当てる」に書かれています。ここから重要な部分を引用してみましょう。(引用文の中の太字は私の編集です。)

配送員の高橋さんは、奥さんがお子さんを連れて出て行ってから酒浸りになり、肝臓をやられてしまっていました。その高橋さんが事務所に来て悪態をついていて、メンバーは困り果てていたのです。

その知らせを受けた青木さんは、放っても置けずに事務所にやってきて、高橋さんの面倒を見ることになります。

「……高橋さん、ご無沙汰しています。体調がお悪いと聞いてやってきました」
横になっていた高橋さんはむっくり起きました。
見ると、顔が黄みがかった土色で、むくんでいます。腹水がたまっているのか、おなかはパンパンに膨れていました。
「どうしました? どんな具合ですか?」
「見たとおりだよ」
「おなかが大きいようですが、それ、腹水ですか?」
「そうだよ、もう治らないってさ。入院しろっていわれたけど、治らないのに入院してどうするんだっていって、出てきたんだ」
(p.221)

さてどうしたものか、何かしてあげることはないかしら?
「高橋さん、夜眠れますか?」
私は聞いてみました。
「青木さん、あんた何もわかっちゃいないね、腹水がたまっているというのはね、オオカミの腹に石が入ったようなもので、左を向いて五分、右を向いて五分、そんな具合に夜中じゅうゴロゴロするしかないんだから寝られるわけがないじゃないか。酒でも飲めば寝られるだろうが、今は酒も飲めないんだ、眠れるわけなんてないよ」
それで行くあてもなく、事務所に入り浸っていたのでしょうか。取りつく島もありませんが、だんだん気の毒になってきました。何か、喜ぶとまではいかなくても、気持ちが安らぐようなことはないものかと、思いつくままに話してみました。
「あのね、私の手から電気が出るみたいで、さすってあげるとみんな気持ちいいっていうの。だから高橋さんのおなか、さすりましょうか?」
高橋さんは不思議そうな顔をしています。私はもう一度、聞いてみました。
「高橋さん、さすりましょうか?」
「ああ、さすってくれ」
おなかをさすりはじめても、高橋さんは相変わらずあれこれ悪たれをついています。私の胸の中も、いろいろな思いがくるくると巡ります。
(この人、このまま死んじゃうんじゃないのかしら……)
(p.222-223)

死んだからといって放って置くわけにもいかないので、青木さんは高橋さんに、死んだ場合のこととか尋ねたそうです。墓はどうするのかなど。

そのうち、何もしゃべらなくなりました。
近くにいた事務員さんが「死んじゃったのかしら」と不安げに見ています。「じっとしていられない」といっていた人が、じっとしています。しばらくみんなで途方に暮れていました。一番若いスタッフが「でも、胸が少し動いているみたいです」とささやきます。裸電球の暗い事務所。顔を寄せると、高橋さんがかすかに息をしています。眠っています。
「ああ、驚いた! よかった」
ほっとしたものの、こちらも疲れが一気に出たようです。時計を見ると、もう五時を回っています。
「五時だからみんな帰って。私はもう少しさすってから帰るから」
みんなはそっと部屋を出て行きました。それからまたさすりだして気がつくと夜の七時。四時間ほどさすったことになります。そのあいだ、高橋さんは何もいわずスヤスヤ寝ています。
(p.225)

高橋さんが起きないので、青木さんは置き手紙をして、いったん帰宅しました。食事の支度などをする必要があったのです。夜の9時に事務所に電話をしても誰も出ないので、念のために高橋さんのアパートに電話をしました。すると、高橋さんが電話に出ました。

「おれだよ、おれだよ」
高橋さんです。時刻はちょうど一〇時でした。
「どうしたんですか、高橋さん。私、心配で心配で……」
「うん、手紙見たよ。もう、喉が渇いて喉が渇いて……それで目が覚めたんだ。水道の蛇口からガブガブ水を飲んだ」
「そうだったんですか」
「トイレに行ったら、炭火焼コーヒーのような真っ黒に近いおしっこがドッと出たんだ。水を飲む、またおしっこ、その繰り返し」
「まあ……」
言葉が出ませんでした。
「でもさ、濁ったようなおしっこが、どんどん紅茶のように澄んできた。やたら眠くてしょうがないから、這うようにして家に帰った。そこへ、この電話だ……」
電話の向こうで高橋さんがのんびり話しています。
「高橋さん、すぐ寝てください」
「うん」
「明日もまたしましょうか、あたしの手ってすごいでしょう」
「うん、すごいね。またやってくれ」
それから一〇日間ほどさすりました。
(p.226-227)

高橋さんは、重度の劇症肝炎だったのです。その後で診断した九州大学健康科学センター教授の藤野武彦先生は、以前の診察データと比較して、ものすごく良くなっていることに驚かれたそうです。

私が送ったデータがすごく悪い数値だったので、藤野先生はどんな患者かと心配していたようでした。それが、格段に数値が良くなっているというのです。見た目には、高橋さんはすっかり元気そうです。おなかがパンパンでもなければ、肌色も悪くはありません。
先生は再度、「青木さん、なんかしたでしょう? 漢方薬かなんか飲ませました?」と聞いてきます。そうそう、あれ以来、おなかを一〇日間ほどさすったことをお話しました。先生が「それそれ、それですよ」といって、高橋さんに向かって、
「高橋さん、あなたは青木さんに救われたんですよ。あなたの病気は劇症肝炎です。検査の数値はすさまじいものでした。とても厳しい状態だったんですよ。下手をしたらあっという間に死んでいたかもしれない。ここまで回復したら、病院に行かない手はないでしょう。あなたはいま奥さんがいないらしいから、きちんと食事が摂れないでしょう。大事なのは食事です。今のままじゃどうにもならないから、病院でちゃんと食事を出してもらいなさい。そしてちゃんと点滴を受けて、栄養をしっかり取りなさい。点滴については私が病院にきちんとお願いしますから」
そうして彼は回復しました。
(p.228-229)

レイキでは、西洋医学を否定はしません。ですから、薬を飲んで病気を治すことをダメとは言いません。それぞれに良い点があるので、それを最大限に生かす治療が必要なのだと思います。

弱虫の息子の具合が悪いとき、私はただただ困って、祈るような気持ちで、わけもわからず淳の体をさすっていました。親が子どもをさするのは当たり前。昔からみんなそうやってきました。特別のことではありません。でも他人様(ひとさま)をさすったのは、はじめてでした。
「あたしの手から電気が出るのよ」なんて、子どもだましもいいところです。でもそういったほうが受け入れてもらえそうだと思ったのです。私なりに必死でした。
(p.229-230)

青木さんは、そんな効果があるなんてまったく思っていなかったのですね。ただただ寄り添い、祈るような思いでさすった。これはまさにレイキの本質だと思いました。

こうして青木さんの特別な能力が、他の人に知られることになりました。困っている人から「さすってくれ」と依頼されるようになったのです。青木さんは、自分にできることならと、積極的にさすってあげたそうです。

それぐらいのことでお役に立つのならいいかなと、ついつい引き受けてしまいました。専門知識があるわけではありません。治療しようと思っているわけでもありません。よくわからないけど、困っている人のお役に立つことならと、心をこめてさするようになりました。
さすられているあいだ、多くの人はとにかくよく眠ります。深い眠り。よっぽど疲れているのでしょうか。その人に寄り添って手を当ててさすっているだけですが、相手の方はそれだけで気持ち良さそうです。
(p.230)

治そうと思わずに、たださする(手を当てる)。これはまさにレイキです。そしてレイキの特徴でもある、「眠くなる」という反応が出ています。

青木さんは、映画監督の黒澤明氏をさすってあげたこともあったそうです。また、ホーキング博士の病気として知られるようになった筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者、当時40歳のOさんにも、藤野先生からの依頼で手を当てることになったそうです。

「僕はなんとかあと八年生きたいんです。三人の子どもがいて、一番下が幼稚園、あとの二人は高校生と大学生です。八年すると、下の子が大学生になる。上が社会人になって、下の面倒を見てくれると思います。それまでは死ぬわけにはいきません」
そんな……そんな責任の重さに応えることができるでしょうか?
でも、迷っていても仕方ありません。
「わかりました。全力でやってみます」
何を、どうしたらいいのかわかりません。目の前にいる方のことをあれこれ想像しながら、一生懸命さすりました。三人のお子さん、一緒にいらっしゃった奥さまのこと。建築のお仕事。病いの恐れ。そんなことで私の頭はいっぱいです。一瞬でもいい、ゆったりとしてもらいたい。そう思いながら、ただたださすりつづけました。早ければ二年で人工呼吸器をつけなければならなくなってしまうかもしれない人。その人が笑顔でいられるために、この私に何ができるのでしょうか。
その日から毎週一回、土曜か日曜、ずっと手を当て、さすりつづけました。
(p.234-235)

そして、八年がたちました。
「おめでとうございます。八年たちました。よかったですね」
と語りかけると、彼は「八年って何でしたっけ?」とポカンとしています。説明すると、
「ああ、そんなこといいましたっけね。でもまだ手を当ててください。これからもよろしくお願いします」
それから七年、同じ間隔で手を当てつづけ、やがて月に一度のペースになりました。かれこれ二〇年のお付き合いになります。
(p.235-236)

40歳で出会ったOさんは、大企業を辞めて60歳で独立されたそうです。病気が治ったわけではないようですが、進行が止まっているのでしょう。

Oさんからいわれたことは、私が体をさすると眠くなり、恐怖や不安でコチコチだった頭がゆったりして、いい気持になること。しかし、なぜそうなるのか、私にはさっぱりわかりません。
(p.236)

私の母も、レビー小体型認知症でしたが、私は帰省するたびに母からも請われて、レイキをしてあげました。1回1~2時間を1日に2~3回します。母はよく、気持ち良さそうに眠っていました。

藤野先生は、青木さんの手から何が出ているのかを調べようとして、青木さんに協力を求めました。青木さんが患者さんをさすっているときの、患者さんの脳波や心電図などを測るのです。青木さんは、何の病気か知らされていない患者さん5人を、30分ずつさすったそうです。

しばらくすると患者さんは眠りはじめます。なぜそうなるのかはわかりませんが、私がさすると、皆さん眠くなるのです。やがて、うしろのほうで「おお……」という声が上がりました。計器上に何かの変化があったのでしょうか。「ほう……」という声も聞こえてきます。うしろのことなので、何が起きているのか私にはわかりません。
「おお……」とか「ほう……」という声が気になったので、実験後、あれは何ですかと尋ねました。
「あれはね、青木さんの気がわかった瞬間です。何かというと、今日の患者さんの脳波で一番反応があったのがアルファ波だった。すべての人の針が振り切れるほど、アルファ波の反応が起こりました。つまり患者がいい気持ちになったということです。
治らないかもしれないといわれた患者さんや手術後の患者さんは、ものすごい恐怖で、不安だらけになっています。眠るとか、ゆったりするという気持ちになれず、ベッドで悶々としてしまいます。医者としては、仕方なく安定剤や睡眠薬を使って強引に寝てもらうんだけと……。
患者さんにとっては、リラックスしてなんかいい気持ち、というアルファ波の脳は状態が一番必要なのに、こればっかりは医者の力ではどうにもなりません。しかし青木さんが手を当てると、脳の中でアルファ波を示す針が振り切れるくらいになりました。青木さんの気は、脳内をアルファ波で満たすんです。それが病気を治すときの大切な要素なんです
「そうなんですか? 私はただ体をさすっているだけで、すみません」
「青木さん、あなたが出す気の力はすごいのですよ。
(p.237-238)

レイキをやっていると、行う側も受ける側も、ともに眠くなることが多々あります。これはきっと脳波がアルファ波からシータ波になっているに違いないと、私は思っていました。青木さんの事例によって、レイキがすべてそうだとは言い切れませんが、1つの実証結果になるのではないかと思っています。

またある時、青木さんは、藤野先生からの依頼で、難病の患者さんに手を当てることになったそうです。西洋医学では手の施しようがない病名もない難病です。

息子さんにしてみれば、変なおばさんの登場です。祈祷師でも来たのかと思ったのでしょうか。目を合わせてくれません。
「気を悪くなさらないでください。私はヒーリングができるということでお役に立てればと思って来ました。この手当で少しでも気分がよくなればいいと、知り合いの藤野先生から頼まれましたものですから」
そういって、いつものように足裏を揉むことから始めました。左足に手を当てて、しばらくしてから右足に当て、そしてまた左足に戻ると、私の手に、何かとてもおかしな感覚が伝わってきました
「左側が何か変なんですね」
そういうと、彼はこうつぶやきました。
「そうでしょう、ぼくが左のほうが悪いといっても、誰もそうだといわないんだ、気のせいだと」
少し怒りがこもった言葉でしたが、私への信頼の兆しがちょっぴり見えました。
足の裏から背中へ、一時間ぐらい手を当てました。それが金曜日午後の一回目。夕方五時からもう一度の予定で、お母さまとロビーでお茶を飲んでいると、I先生がニコニコしながら駆け込んできました。
「すごいですね、青木さん、今までびくともしなかった数値が下がりました」
夕刻、もう一度手を当てました。また数値が下がりました。手を当てるたびに下がりました。それまでずっと数値は下がらず、どんな手を打っても変化がなかったそうです。ふつうなら、たとえ下がっても、一旦リバウンドして上がったりまた下がったり、それをくり返してふつうになるそうです。
「青木さんのはリバウンドがない、一直線に下がる」
お医者さんたちがみんな驚いているそうです。ああ、よかった。それを聞いて、私の緊張も少しとけ、心が軽くなりました。
金曜日三回、土曜の朝、昼、晩と三回ずつ、日曜は朝と昼、二回手を当てつづけました。半信半疑の彼に「また来週きます」と告げて帰りました。結局、私は週三日、二年ほど通いました。私が通うようになってから二ヶ月くらいして、彼は大学病院から自宅へ戻されました。自宅といっても、設備の整った病院です。よかった、ひと安心です。
(p.241-243)

こうして難病の青年は、だんだんと回復していきました。その過程で青木さんは、なんと遠隔治療も行ったようです。しかも見よう見まねで。このことからしても、シンボルやマントラを使わなくても遠隔ができる、ということが言えるのだと思っています。

あのころ私は北海道の中札内牛乳のことで飛び回るのに忙しく、でも彼のことがずっと気になっていました。それまで一度もしたことがなかったのですが、思い切って「遠隔」で気を送ることを試してみました。気功をする人は、離れた場所からでも気を送って治療するそうです。遠く隔てた場所から気を送ること、それを遠隔治療と呼ぶことを聞いていました。私にもそれができるといいな、気休めでもいい……と、思い切ってやってみたのです。私に気の力があるかないかはさておき、患者さんはステロイドをたくさん投与されているため鬱っぽくなっているとご両親から聞いていました。ステロイド鬱と呼ぶのだそうです。本人の不安や心配をしっかり聞いて、ただうなずいてあげたかったのです。
「耳に受話器をあてて、片方の手を頭のどこかに置いてください」と伝えてから、目をつぶって気を送りはじめました。毎晩、約束した時間に、電話で気を送りました。
「もし自分の病気が治っても、こんな僕に、できる仕事なんてない」と彼は嘆いています。私はこういいました。
「お医者さまになるのがいいと思います」
「二年のブランクがあるので、医師の国家試験なんてとうてい無理だ。ステロイドの副作用で骨密度が下がると、股関節に金属を入れる手術を受けるらしい。でも九年間ぐらいしかもたないらしい」としょげています。
今度は、股関節を中心にヒーリングをしました。
「つらい病気を乗り越えた人だからこそ、きっといいお医者さまになれますよ。患者さんの求めるようなドクターになれると思います……」
心から、そう思い、そう励ましたました。
数年後、彼は見事に国家試験にパスして、内科医になりました。ステロイド漬けだった体を案じていましたが、結婚し、男の子と女の子のお父さんになりました。
(p.243-244)

遠隔治療も行いながら、西洋医学から見放された難病に対処された青木さん。そしてその結果は、みごとなハッピーエンドでした。

青木さんはその後も、月に10~20人ほどの人の体をさすってあげたそうです。頼まれればすぐに行って、さすってあげたのだとか。

私自身、なぜそんなヒーリングのようなことができるのか、実のところよくわかりません。そういう修行をしたわけでもないし、習ったこともありません。私でお役に立てるのであればどうぞ使ってくださいという感じなので、お礼は遠慮しています。
(p.245)

青木さんは、実に謙虚な方だと思います。仮に習っていなくても、これほど実績を上げておられたら、少しは自慢したくなるものです。この謙虚さが、まさにレイキ的ではあるのですけどね。

もし私の手当てが必要だと思う人が現れたら、私はなんとしてでも伺います。ちょっと具合が悪い程度でも、こちらから行って差し上げるのがいいと思っています。野菜スープの話で書いたように、具合の悪い人にとっては、ちょっとのことでも大変な時があります。そういう場合、こちらが動くことで相手の方が少しでも楽になると、それをはずみに快方に向かうことがあります。経験的に私はそれを知りました。ですから、最初のヒーリングにはなるべくこちらから出向くようにしています。そして、思いっきりその人を認めて、温めます。私にできることは何だろうと考えながら、一緒の時間を過ごします。そのように接すると、相手の方は元気を取り戻していくようです。こういうことは、誰にでもできることだと私は思っています。
(p.246)

ただ寄り添って相手のことを思い、同じ時間を過ごす。こういう誰にでもできることを心をこめて行う。それがまさにレイキなのです。

藤野武彦先生が、サンデー・サイエンスの集まりの場でこういいました。
「人の気には色がある。同じ色の人同士は互いに癒し合える。だけど、色が異なるときはその組み合わせによって癒せる時と癒せない時があるものです。ところが青木さんは、気の色が無色透明だ。きっとあなたは誰に施術しても大丈夫です」
(p.246)

気の色が見えるのかどうかはわかりませんが、私もレイキの気の色は無色透明だと思っています。なぜならレイキは、意図のないエネルギーだからです。相手の自由にさせるエネルギーだから、誰に対しても効果があるのです。

次は、Yさんという乳がん患者さんへの施術例です。手術はしたくないとのことで、青木さんのもとを訪ねられたとか。

足裏から手を当てて彼女の胸まで来たとき、ちょうど赤貝かちょっと大きめの蛤(はまぐり)ぐらいの大きさの何かが、ぴたっと私の手の平に収まります。皮膚の下は、ギザギザの固い貝殻のような感じ。私の手にはそう感じました。
 最初のころ、Yさんに手を当てても、私の手には何の反応も伝わりませんでした。「大したことないのね、手術したくないっていうのがよくわかります。いいと思いますよ、しなくても」なんていっていました。本当にどこかが悪い場合には、私の手にいろいろな反応が起こります。三回手を当てましたが、何もないから大したことはない、もうこれで終わりにしようと思っていました。
 三度目を終えたあと、「青木さんに手を当ててもらって自宅に帰ると、よく眠れます。翌朝、気持ちがいい。それだけでも嬉しいから続けてほしいのです」と電話がありました。
「そう。それなら、どうぞどうぞ」
 四回目、いつものように彼女に横になってもらい、手を当て、足の裏をさすっていると、私の右手に雷が落ちたような、閃光が走ったような痛みが来ました。「あ、痛い! なんだ、これは?」と驚きましたが、しばらく続けるとそれは消えました
 私は誰にでも同じことしかできません。手当てという術を練習したわけではありませんから。足から脚部、そしておなか、胸、背中と回って、手の平でさすり、温める。これだけです。彼女に対しても、同じことです。すると、ふと気づきました。あの固いものが少し柔らかくなっているような感じがします。それを彼女に伝えました。
「胸の固いのが半分消えていますよ」
「そうなんですよ、柔らかいんですよ」と彼女。へぇ、そう。さっき私の手にピカッと来たのは、良くなっているという証拠かもしれない。
 大勢の人に手を当ててわかったのは、触って違和感があると、私の顔のあたりがもやもやして、鼻先に綿あめかクモの糸でもくっついたようにベタベタします。最初は気にもしませんでしたが、具合の悪い人に手を当てると、そういう感覚が残るのです。そのうち筋ジストロフィーをはじめいろいろな重い病いの人に出会うようになったのですが、そういう人に手を当てると、重油のような、ドロっとしたものが私の手から入って腕の付け根まで上がってきます。正体はわかりませんが、そんなものが入ってくるとどうしてよいかわからないので、そのまま三〇分でも一時間でも手をそのまま置いておきます。気長にそれを続けていくと、あのドロッとしたものがふっと消える瞬間が来ます。そこでまた別の場所に移ります。するとまたドロっとしたものが入ってくるので、ああこの人にはまだ悪いところがあるんだなと感じます。そうやって何カ所か手を当てていくうちに、いつしか癒されていくようです。Yさんに触っていて実感しました、「そうか、私の手に来たら、悪いところが治るんだ」と。
 Yさんはとても元気になり、私たちのボランティアメンバーになりました。
(p.249-251)

Yさんの病巣は小さくなり、医者から手術を勧められることもなくなったそうです。青木さんは、手にいろいろ反応があることを言われています。これは日本の伝統的な霊氣では「病腺(びょうせん)」と呼ぶものです。わかりやすく「ヒビキ」と呼んだりもします。

全身に手を当てていくやり方は、西洋レイキのスタンダードポジションみたいですね。ただ、反応があったところに重点的に手を当てるという点は、西洋レイキではイレギュラーです。

そして、顔のあたりがもやもやするとか、ドロッとしたものが腕の付け根まで上がってくると表現されていますが、これは通常の病腺とは違うように感じます。ただ、レイキをされてる方にも、いろいろな感じ方があるのは事実です。たとえば、肩が悪い人で、自分の肩がうずくという方もいらっしゃいました。

いずれにせよ青木さんは、慌てず騒がずじっくり手を当てていらっしゃるのが素晴らしいです。よくあるのは、悪いものを引き受けたと勘違いして、不安になってしまうことです。基本的に相手の悪い気を受けるなどということはないので、安心して手を当て続けることが大事なのです。

昔の人たちが一番つらかったのは、きっと病むことだったと思います。今日のように病院に駆けこめばいいというものではありません。病気は本来、自己治癒力で治すものだと思います。でも自分の力が出し切れないとき、何かの理由で弱っているとき、誰かに少し背中を押してもらうことで治ることもあると思います。私が病気の人に寄り添い、手を当てて体をさするのは、きっとそういうことなのでしょう。もちろん私が治すのではなく、ご本人が自分の力で元気になっていくのです。そのために、私は少し体を温めたり、不安を取り除いたり、その人のいいたいこと、感じていることを「そうか、そうよね」と丸ごと肯定することで、その人は気が楽になり、胸のつかえのようなものも取れて、すーっと快方に向かうきっかけになるのだと思います。
 心が元気になれば、たいていの病気は治るようです。だから、元気がなくなったときは、誰かがそばに寄り添って支えてあげられるといいですね。それが、健康な人の役目ではないでしょうか。
(p.251-252)

相手を自由にさせるのがレイキの基本です。レイキは愛ですから。ですから、「大丈夫だよ、安心していいよ」という思いで行うものです。それはレイキの「五戒」に表れています。

この人はどんな気持ちでいるのだろうか。どうしたら気持ちがほぐれて、リラックスするだろうか、いま何が不満なのだろうか、何がつらいのだろうか、どうしたら嬉しく感じてもらえるだろうか。多少間違っていてもいいから、そういうことをずっと考えます。そうして、相手の気持ちや感情や考えや感覚に添ってみる。添って、添って、ずっと添ってみる。その人が何かいったら「はい、そうですね」「なるほど」と、しっかり共感を伝えます。そうやってその人に添っていくと、ある時点で、その人は「よし」と元気になる意欲が起こってくるのだと思います。
 つまり、全部イエス。間違っていてもいいのです。
「甘いもの食べたい」
「はい、おいしいお菓子を買ってきます」
「喉がかわいた」
「はい、お茶ですか、冷たい水、湯冷ましもありますよ」
「背中が痛い」
「はい、さすりましょう」
 たくさんの「イエス」を与えます。
 王さまや女王さまに仕えるように接します。
(p.253-254)

相手に寄り添うというのは、レイキの基本です。自分がレイキで病気を治してあげるのではなく、ただ相手の自然治癒力が働きやすくなるよう助ける。そしてそれを、ただ待つ。一人では心細いから、一緒に寄り添って待つのです。

相手に共感して聴くという態度は、傾聴法などカウンセリング手法にあります。そういうものも、併用するといいのかもしれませんね。

最後のあらゆることに「イエス」を言うことについては、たしかにそういうやり方もあるのでしょう。青木さんは、看病する時は自分の自由はないと言い切られています。完全に仕えるのです。

そのことで思い出すのは、聖書にある弟ヤコブが兄エソウと仲直りするエピソードです。完全服従の立場に身を落とすことによって、信頼を勝ち得ていきます。どうしてもこの人を救いたいと思った時は、そういう選択肢もあるのだろうと思います。

 

この本に書かれているのは、青木さんが何もよくわからず手当てをされてきたその体験談です。青木さんはとても素直な方のようで、何ら先入観なしに手当てをされ、その感覚を正直に書かれているように思いました。

私はこれを読んで、レイキの本質がここに現れていると感じました。特殊な能力があるとわかってからも、謙虚に寄り添うことだけを心がけておられる点は、本当に素晴らしいと感じました。レイキ施術者はすべて、そうであるべきだと思います。

 

レイキは授乳と同じ

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

レイキのことを考えていたら、ふと降りてきました。

「レイキは授乳と同じだ!」

 

どういうことかと言うと、赤ちゃんはお母さんのおっぱいを吸って飲みます。そのお乳の栄養が、赤ちゃんの生存や成長を助けるのです。

しかし、もし赤ちゃんがおっぱいを吸わなかったらどうなるでしょう? いくらお母さんがお乳をあげたいと思っても、吸ってくれなければあげることができません。

つまり、授乳というのは、お母さんはただ傍に寄り添って、おっぱいをあてがっているだけなのです。そのおっぱいからでるお乳を吸って自分の生存や成長に役立てているのは赤ちゃん自身。つまり、赤ちゃんの自由なのです。

 

これって、レイキと同じですよね? そのことに気づいたのです。

レイキは単に、傍に寄り添って手を当てるだけです。相手(自然治癒力)がレイキを必要とすれば、それを吸ってくれるでしょう。でも必要でなければ、拒否するだけ。その拒否すら認めるのがレイキなのです。

 

それともう1つ一致点があります。お母さんは、赤ちゃんがおっぱいを吸ってくれると「気持ちいい」と感じるようです。(私は男なのでよくわかりませんが。)レイキも同じなのです。

手を当てた時、そこが勢い良くレイキを吸ってくれると、とても気持ちいいのです。「あー、レイキがたくさん吸われているなぁ。」という感じがして、とても心地よいものです。

こういうのは、レイキを長くやっていれば、誰でも感じるものです。相手の生命の助けになったという満足感、自分が役に立っているという自己肯定感など、様々な喜びが湧いてきます。

たとえ施術は1時間と決めていても、勢い良く吸われている時は、「あーこの手を離したくない!」という欲求に襲われます。それくらい、恍惚(こうこつ)とした気持ちになるのです。

 

この恍惚感は、おそらく母親の授乳と同じなのではないかと、ふと思いました。いかがでしょうか? ぜひ、授乳をされたお母さんのご意見を伺えればと思います。

クリーン・アップ・パイプのやり方

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

「ナチュラル・レイキ」では、「クリーン・アップ・パイプ」というものを行います。これは、西洋レイキにおけるアチューンメント、日本伝統のレイキ(今は直傳靈氣しか教えるところがありません)における霊授に相当します。

しかし、「クリーン・アップ・パイプ」とアチューンメントや霊授は、まったく性格が異なるものです。そういう意味では、まったく違う存在と言えるでしょう。

 

西洋レイキや直傳靈氣では、アチューンメントや霊授を受けることによって、誰でもレイキができるようになると言っています。逆に考えれば、アチューンメントや霊授を受けなければレイキができないということになります。しかし、それは本当でしょうか?

私はこれまで、レイキを習ったことがない方も対象にして、レイキの練習交流会を開いてきました。その中ではっきりわかったのは、レイキを習っていなくてもレイキは出るということです。

レイキが人の本能であり、自然なことなのだとすれば、当たり前のことですよね? ただし、レイキの出方は人それぞれ違いがあります。レイキを習った人は出やすい傾向があり、習っていない人は出にくい傾向がある。それだけのことです。あくまでも傾向に過ぎません。

ですから、アチューンメントや霊授を特別なものに仕立て上げ、それを受けなければレイキができないと言うのは、真実ではないと感じています。そんなものを受けなくても誰でもできるのです。ただ、レイキの出方に違いがあるだけです。

 

そこで、「クリーン・アップ・パイプとは」で書いたように、大量にレイキを流してやることで、自分の中にあるレイキが流れるパイプをきれいにしたり、より太くすることができる、ということが重要なポイントになります。

特に、パイプが目詰まりを起こしている(汚れが溜まっている)状態では、外の力でパイプにレイキを大量に流すアチューンメントや霊授が有効だと思います。その代わりをするのが「クリーン・アップ・パイプ」です。

汚れが取れてパイプの目詰まりがなくなったら、今度は他人に対してレイキをすることで自分のパイプを大量にレイキが流れるようにして、パイプを太くすることが重要だと思います。

 

では、「クリーン・アップ・パイプ」とは、具体的にどんなことをするのか? その話をしていきましょう。まず言えることは、決まったスタイルはないということです。効果的な方法があったら、いくらでも変えてかまわないからです。目的は、大量にレイキを流すことですから。

その上で私が考えている1つの方法を示します。

・まずは頭頂に両手でレイキをします。時間にして1~2分です。
・次に眉間(額)にレイキをします。これも同じくらいの時間です。この時、コズミックプラグと呼ばれる額と後頭部に手を当てて、挟むような形でするのが良いと思います。
・最後は合唱した手を両手で挟むようにしてレイキをします。これも同じくらいの時間です。

トータルで5分くらいになると思います。これにより、レイキが流れるパイプの掃除ができます。

この時、「凝視法」「呼気法」を併用するのが良いと思います。
「凝視法」とは、眼でしっかりと見ることです。頭頂に手を当てたらな、その手の先にある頭頂を意識して見つめます。目線からも強いレイキが出るのです。
「呼気法」とは、細く長く息を吹きかけることです。これも当てた手を通り越してレイキが流れていくイメージで行います。呼気からも強いレイキが出ると言われています。

 

上記は、私が考えた現時点での最善の「クリーン・アップ・パイプ」です。何度も言いますが、これがベストというわけではありません。これもまた、1つの方法に過ぎないのです。

また、「クリーン・アップ・パイプ」が終わったら、レイキ回し(レイキ・サークル)をやると良いと思います。レイキ回しだけでもレイキが出やすくなりますが、自分が他の人に手を当ててレイキをすることになるので、より一層効果が高まると期待できます。

それから、レイキがまだあまり出ない人が他の人に対してレイキをするとき、指導者(レイキがよく出る人)が後ろから両肩に手を当てたり、頭頂に手を当ててあげて、より多くのレイキが出やすくなるよう手助けしてあげるという方法も、パイプをきれいにするのに役立つと思います。

いろいろな方法がありますので、ぜひ試してみてください。そして、もっと効果的な方法があると気づかれたら、どうぞ教えてくださいね。レイキは愛です。互いに助け合うことで、発展していくものだと思います。

愛と安心立命

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

前回、「レイキは愛」という話をしました。ここで、本当の愛は「無条件」だから「自由」だということを言っています。「愛は自由だ」というのは、これまでのみなさんの概念を覆すものだと思っています。でも、「無条件の愛」を考えていけば、自由でなければおかしいのです。

愛には、また別の側面があります。それが「安心」だと思います。私たちは無意識に安心を求めます。それは、愛を求めているからでもあるのです。そして、安心していられれば、相手を自由にさせられます。自分も自由になれます。愛は自由であると同時に、安心でもあるのです。

 

レイキを創設された臼井甕男氏は、「安心立命(あんじんりゅうめい)」という悟りの境地に至ろうとして、京都の鞍馬山で断食修行をされました。その中で特異体験を通じて、「神即我、我即神」という悟りを得て、山を降りられたそうです。その途中で何かにけつまずいて、親指の爪がはがれる大怪我をされました。思わず手を当てたところ、たちどころに痛みが引いて傷が癒えたと言われいます。

これがレイキ(心身改善臼井靈氣療法)が生れた時のエピソードです。このことから言えるのは、レイキは何の意図もせずに手を当てることで効果を発揮するということです。また、レイキと悟りに至ることは大きく関係しているということです。

安心立命の境地とは、何があっても安心していることです。安心した中で、自分がやろうと感じることを躊躇なく行うことができることです。これはつまり、愛そのものになることだと言えます。

また、神と自分は一体だという悟りを得られたと言われます。これは昔から多くの人が悟られたことなのですが、要は、自分は宇宙から切り離された存在ではなく、一体なのだという感覚です。宇宙とは、存在のすべてのことです。存在のすべてと一体化しているのであれば、何かが足りないということはありません。何かをしなければならないということもありません。だから、安心していられます。

 

このような境地を得るために、レイキには「五戒」というものがあります。「今日だけは、怒るな、心配す(る)な、感謝して、業を励め、人に親切に」という教えです。怒らないし心配しないのは、安心しているからです。つまり、愛にとどまっているからです。

では、「怒る」ということを考えてみましょうか。怒るのは、相手を脅して何かをさせたいからですよね? なぜ、そうまでして相手を動かさなければならないのでしょう? それは、相手がそうしてくれないと、自分が困ったことになるからです。安心できないからです。

「心配」ということも考えてみましょう。心配するのは、そんなことになったら自分が困ると感じて混乱するからですよね? 心配したからと言ってどうなるわけでもないのに、心配を続けたりもします。どうにもならないけど何とかなってほしい。そうでないと自分が困ってしまうと感じています。これも安心していないのです。

 

では逆に、「安心」していたらどうなるでしょう? 相手が変わって、自分の思い通りに動いてくれるのでしょうか? これまで心配していたことが起こらないのでしょうか? そんなことはありません。やはり相手は好き勝手に動くし、不都合なことも起こるでしょう。つまり、そういうことが起こってもかまわないと受け入れた時、初めて安心できるのです。

神が存在のすべてなら、存在のすべてにとっては何が起ころうと不都合でないと言えるでしょう。その存在のすべてと一体化しているのが自分であると感じていたら、自分もまた不都合ではないと感じられます。それが悟りであり、安心であり、完全な愛になることなのです。

レイキは、そういう完全な愛に至るための実践です。ですから、「愛」「自由」「安心」というキーワードを無視したものは、本当のレイキではないのです。「ナチュラル・レイキ」がしたがうのは、この本質的な考え方のみです。それを目指すものであれば、方法は人それぞれでかまわない。そういうふうに考えています。

レイキは愛

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

私が推奨する「ナチュラル・レイキ」だけでなく、レイキは愛の行いだと思っています。したがって、愛から外れるなら、その時点でレイキではありません。それが私の考え方です。

では、「愛」とはいったい何なのでしょう? わかっているようで、なかなか説明できない。それが「愛」というものかもしれません。なので、「無条件の愛」という言葉から入ってみましょう。

私たちは、「無条件の愛」という言葉を聞いて、本来の愛とはそういうものだというイメージを持っています。では、私たちが普通に「愛」だと思っている時、条件をつけていないでしょうか? 無条件で愛しているでしょうか?

 

極論ですが、パートナーが浮気した時、あなたは怒りますか? もし怒るなら、無条件ではないのです。パートナーなら浮気をしないという条件をつけて、愛そうとしています。もし本当に無条件なら、パートナーが浮気しようとどうしようと関係なく、愛せるはずです。

子どもが勉強をしない時、「勉強しないならお小遣いをカットするよ!」と怒る親は、子どもを無条件に愛していません。勉強する子どもは愛するけど、勉強しない子どもは愛さないと言っているのですから。それは条件をつけていることになります。

どうして私たちは、つい条件を付けたがるのでしょう? それは、その条件が満たされないと自分が嫌だ(困る)からです。つまりこれは、自分が都合良くなるために、他人に条件を付けているのだと言えます。でもこれって、「愛」と呼べるでしょうか?

こういうのは「愛」ではなく、「取引き」と呼ぶべきものです。「あなたが○○のことをしてくれたら、私は□□のことをしてあげますよ。」そう言っているのと同じです。「勉強するならお小遣いをあげますよ。」「浮気をしないなら機嫌よくしてあげますよ。」すべて取引きです。愛ではなくビジネスなのです。

 

どうでしょう? これまでの「愛」の概念が崩れたのではないでしょうか? 「愛」とは無条件ですから、本来「自由」なのです。条件がなければ自由になれますよね。つまり、相手を自由にすること、解放することが「愛」なのです。

もちろん、自分自身も自由であるべきです。そうでなければ、自分を愛しているとは言えません。「常識」など、他人の価値観に引っ張られているなら、それは自由ではありません。自由なら、自分自身の感覚に正直であるべきです。たとえ他の人が何と言おうと、好きなものは好き、嫌なものは嫌でいいのです。

 

そこでレイキと愛の関係に戻りましょう。レイキは、勝手に流れるものです。「出す」のではなく「出る」ものです。したがって、意図的に何かをするということをしません。こちらの意図がないのですから、相手は流れてきたレイキを自由にできます。レイキのエネルギーをどう使うかは、相手に任されているのです。

もしそこに、「相手の病気を治してあげよう」というような意図が入ったなら、その時点で愛ではなくなります。したがって、レイキではないのです。もちろん、相手を助けたいと思うから手を当てます。でも、それがどう使われるかは相手に任せるというのが、レイキであり愛なのです。

 

このことは、「必要性」「好み」という言葉で説明できます。相手の病気を治してあげようとするのは、どちらなのかということですね。もしそれが「必要性」であれば、その必要を感じているのは自分です。つまり、自分の都合で相手の病気を治したいと思っているのであって、相手の気持ちはどうでもよくなっています。相手の病気が治らないと自分が困るから、治そうとしているのです。

しかしそれが「好み」であれば、少し違ってきます。私は、相手の病気が治ってくれることが好ましい。でも、治るかどうかは相手の自由にさせます。これが好みです。治ってくれることが好ましいと思うから手を当てます。しかし、治るかどうかは相手に任せるのです。

このように、レイキは完全に相手任せです。だから、レイキを受けたくないという人に、無理やりレイキをするようなことはしません。相手の自由を尊重するからです。たとえレイキをすれば治りが早くなると思っていても、その自分の意図を相手に押し付けたりはしないのです。

 

レイキの唯一の弱点は、時間がかかることです。しかし、それこそがレイキの最大の長所だと、私は考えています。誰かのために長い時間寄り添ってあげる。しかも、相手の自由にさせる。つまり、関心を持ちつつも束縛しないのです。これこそが、愛だと思います。その愛を長時間続けるということは、人生の中の多くの時間を愛の実践に費やすことを意味します。

風邪を引いた子どもにとって、薬を飲まされて後は寝てなさいと言われて1人にされることと、お母さんがずっと傍に寄り添って手を当ててくれることと、どっちが嬉しいでしょうね? 嬉しく感じるのは、そこに愛を感じるからです。愛の実践をしなければ、人生にどんな意義があるのでしょう?

 

マザー・テレサさんは、愛の反対は無関心だと言いました。私もそう思います。だから、関心を持つことが重要なのです。しかし、それだけでは愛ではありません。解放すること、自由にさせることが大切なのです。関心を持ちつつ自由にさせる。それが愛なのだと思います。そしてレイキの真髄は、まさにこの愛。関心を寄せながらも相手の自由にさせることなのです。

 

また、レイキが愛であり自由であるなら、ああせよこうせよと、やたら制約を加えるようなことはしないはずです。もちろん、こうするとより効果が高まるよということはあるでしょう。でもそれは、単にアドバイスに留まるべきであり、制約にすることはあり得ないのです。

私が提唱する「ナチュラル・レイキ」では、なるべく無用な制約を排するようにしています。やり方はどうでもいいのです。ともかく手を当てて、相手の自由にさせればいいだけ。意図を加えないというのも、相手の自由にさせるためであり、自分が「必要性」を感じないでいるためです。

テクニック的に効果的な方法というものはあるので、それはそれぞれで検証しながら取り入れれば良いというのが、「ナチュラル・レイキ」のスタンスです。その場合でも、「こうしなければならない」ではなく「こうした方がいいよ」くらいの緩やかなアドバイスになります。やり方も押し付けない。そういう愛の立場に立ったレイキなのです。

レイキと気功の違い

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

「レイキって何ですか?」と尋ねられることがよくあります。そんな時、私はこう答えます。「気功のようなものですよ。」なぜこう答えるかというと、日本では気功がよく知られているからです。手から気を出して、様々なことをするイメージがありますよね。

ただ、その後でこう付け加えます。「気功との違いとして、「出す」か「出る」かということがあります。気功は意図的に気を出すのですが、レイキは勝手に気が出るのです。」

この「出す」「出る」の違いは、実に大きな違いを生みます。たとえば、意図的に出さないから、相手を傷つけることがありません。気功では、気によって人をふっ飛ばしたりもしますが、レイキではそういうことはありません。そして相手を傷つけないから反発を受けず、自分が傷つくこともありません

また、勝手に「出る」ものですから、意識を集中する必要もありません。集中する必要がないから、「ながら」ができます。テレビを観ながら、本を読みながら、おしゃべりしながら・・・、ということがレイキはできるのです。

また勝手に出るものですから、特に訓練の必要がありません。人間の本能であり、自然なエネルギーなので、訓練がいるということの方がおかしいのです。特別な技術が必要ないというのがレイキの特徴です。

ただしそうは言っても、赤ちゃんがいきなり歩けないように、レイキもある程度のレイキが出るようにならないと、なかなか効果が出てきません。では、そのために何をするのか? 赤ちゃんと同じです。歩こうとすることであり、歩くことです。レイキも、レイキをしようとすることと、レイキをすることが大事なのです。

レイキは、身体の外にある気(宇宙の気とも言えます)が身体の中のパイプを通って、手などから流れ出ます。このことは、レイキをすれば自分の身体の中を宇宙の気が流れることを意味します。つまり、レイキをすればするほど、自分が癒やされるのです。内部の気を使えば、枯渇して疲れてしまうということもあるでしょう。でもレイキでは、すればするほど元気になります。

このように、レイキには非常に多くのメリットがあります。誰でもできますから、子どもから老人まで行えます。また、体調が悪い時でも、レイキをすることができます。自然なエネルギーですから、対象が妊婦さんだったり、赤ちゃんだったり、寝たきりのご老人だったりしてもOKです。

アメリカやヨーロッパでは、レイキは社会に認知されています。気功を知っている人は少ないけど、レイキを知っている人はとても多いのです。ですから欧米人に対しては、気功との比較で説明することはありません。気功と比べて説明するのは、対象が日本人だからですね。

クリーン・アップ・パイプとは

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

「ナチュラル・レイキ」では、「クリーン・アップ・パイプ」というものを行います。これは、西洋レイキにおけるアチューンメント、日本伝統のレイキ(直傳靈氣)における霊授と同じようなものです。

その目的は、人間なら誰にでも備わっているレイキが流れるパイプの汚れを取り除き、きれいにすることにあります。詰まりを取って、レイキを流れやすくすること。それが目的です。

 

私は、西洋レイキのマスターになり、直傳靈氣の師範格になりました。つまり、アチューンメントや霊授のやり方を知っています。その上で、それらがどういう意味があるのかを合理的に考えた時、要は「大量にレイキを流してやればいい」ことだと気づいたのです。

もちろん、どこに大量に流せばいいのか、ということもありますが、要は大量にレイキを流し、パイプの詰まりを取り除けば良いのです。だって、元々レイキが流れるパイプが備わっているのですから、それ以上のことをする必要性がないでしょう?

 

もしこれが、新たにレイキが流れるパイプを設置するというなら話は別です。そんなことができるとは思えませんが、そういう機能がアチューンメントや霊授にあると言うのであれば、私の認識は間違っていると言えます。しかし、論理的に考えてみれば、そんなことはあり得ません。

したがって、ともかくレイキを大量に流してやれば、パイプがきれいになってレイキが流れやすくなる、と言えると思うのです。

 

その証拠は、これまでレイキを習っていない人であっても、「レイキ回し(レイキサークル)」をすることによって、一時的にでもレイキが出るようになる、という事実があるからです。私はこれを何十回と経験しました。

「レイキ回し」というのは、ぐるっと輪になって前の人の背中にレイキをすることです。つまり輪になった電車ごっこみたいな格好ですね。こうすることで、自分の手から出たレイキが前の人に流れ、そのレイキがまた前の人に流れ、という具合にレイキがグルグル回るのです。

これを行うと、間違いなくレイキがよく流れるようになります。そうであるなら、レイキを受けるだけでレイキの流れは良くなるはずです。そして、事実そうなのです。

 

このようなことから、「ナチュラル・レイキ」では、西洋レイキのアチューンメントや日本伝統のレイキ(直傳靈氣)の霊授という制約の多い方法はやめて、単に大量にレイキを流すという意味での「クリーン・アップ・パイプ」を採用することにしました。

時間は、1人あたり5分程度です。効率良く大量にレイキが流れるので、それによって受け手のパイプがきれいになり、それまでより確実にレイキが流れやすくなります。

もちろん、1回ですべての汚れが取れるとは言いません。感覚的には、3回は受けてほしいと思います。つまり講座を3回受講するということですね。

しかし、パイプをきれいにする作用は、必ずしも「クリーン・アップ・パイプ」だけではありません。パイプが詰まっている時には「クリーン・アップ・パイプ」が効率が良いと思いますが、ある程度レイキが流れるようになれば、もっとも優れているのは「他人に対してレイキをすること」だからです。

自分が他の人にレイキをすることでも、自分のパイプの流れを良くすることができます。さらに、パイプを太くする段階に入ってくると、最良の方法は「他人に対してレイキをすること」です。「クリーン・アップ・パイプ」を受けても効果はありますが、効き目が逆転するのです。

 

そうやって、自分のパイプの詰まりを取り除き、パイプを太くすることによって、他人に対して大量のレイキを流すことができるようになります。つまり、「クリーン・アップ・パイプ」を効果的に行う能力が育つのです。

もちろんこれも、ある時から急にできるようになるというようなデジタル的なものではなく、アナログ的なものです。したがって、まだ詰まりが取れてない段階からでも「クリーン・アップ・パイプ」を行うことは可能です。(効果は限定的になりますが。)

そして、他人に対して「クリーン・アップ・パイプ」をすることは、「他人に対してレイキをすること」でもあるので、自分のパイプの詰まりを取り除き、パイプを太くする効果もあるというわけです。

 

これまでのように、マスターになったからできるとか、そういうものではありません。他人がレイキができるよう手伝ってあげたいなら、どんどん「クリーン・アップ・パイプ」をしてあげるべきです。そして、他人してあげたことが自分に返ってきます。自分のレイキのパイプを太くしたければ、他人のレイキのパイプを太くしてあげるのです。

 

上記のことを念頭に、「ナチュラル・レイキ」では「レイキを流す」ことを主眼とした講座を行っています。そもそもすべての人に備わった本能なのですから、何ら特別なことではありません。歩けるのが当たり前のように、レイキができるのも当たり前なのです。

レイキが流れるパイプ

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」を先にご覧くださいね。

 

レイキでは、私たち人間には本来、レイキが通る「パイプ」があるという話をします。この例え話は秀逸で、いろいろなことをよく説明できると、私も感じています。

つまり、レイキは私たちの中から作り出されるエネルギーではなく、いわば宇宙のエネルギーが、私たちの中にあるパイプを通って相手の身体に流れるだけだと言うのです。

気功をされている方は、「それは外気功のことですね」と言われることもあります。これが完全に同じとは思わないのですが、要は身体の外にある気を取り込んで流すという意味では同じと言えます。

 

そこで、ではどうすればもっとたくさんの気を流すことができるのか、ということが問題になります。そのとき、「パイプ」があるという例を使うと、パイプが汚れていて詰まりがあったり、パイプそのものが細ければ、レイキが流れにくいですねという説明ができます。

 

ではまず、「パイプが汚れている」とは、どういう状態なのでしょうか?

人は本来、レイキが流れるようになっています。自然なエネルギーだし、それを流すための「手当て」が本能として与えられているのですから。それでも流れにくくなっているのは、パイプに汚れが溜まって詰まっているからだと言えます。

なぜ汚れが溜まるかは、諸説あります。ストレスが溜まる生活が原因という話もあれば、使わないから錆びたのだという話もあります。私もこれについては、何が原因かを特定することはできません。

ただ、その汚れを落とす方法は明確です。水道のパイプの汚れと同様です。そう、水(レイキ)を大量に流せばいいのです。そうすれば、その汚れとともにパイプをレイキが流れ、詰まりを取ってくれます。

もちろん、水道管の場合は、水では溶けない汚れもあるので、洗剤などが必要になることもあります。しかしレイキのパイプは、基本的にレイキしか流れませんから、レイキを流す他ないのです。

 

次に、パイプをレイキが流れるようになったとしても、「パイプが細くてレイキが少ししか’流れない」という問題はどうでしょう? 何とかパイプを太くできればいいのですが・・・

これは、水道管ではうまく説明できません。そもそも水道管なら、取り替える以外に太くする方法はありませんから。でも、血管と考えてみたらどうでしょう? 血管なら柔軟性があるので、よりたくさんの血が流れれば、血管は太くなっていきます。

レイキもまた同じように考えられます。つまり、よりたくさんのレイキを流せば、パイプもまた太くなるのです。

 

つまりどちらの場合も、たくさんの量のレイキを流しさえすれば改善されるということなのです。

では、どうすればよりたくさんのレイキを流すことができるのでしょう? ここでもいろいろ意見はあると思いますが、私は次のことがその順番通りに効果があると感じています。

1.他の人にレイキをしてあげる
2.自分自身にレイキをする
3.クリーン・アップ・パイプ(霊授,アチューンメント)を受ける
4.発霊法を行う

ここではその理由を解説しませんが、要はレイキをすればするほどパイプは太くなるということなのです。レイキを流せば流すほど、パイプが太くなって、レイキが流れやすくなるのですね。

 

上記のことを念頭に、「ナチュラル・レイキ」では「レイキを流す」ことを主眼とした講座を行っています。そもそもすべての人に備わった本能なのですから、何ら特別なことではありません。歩けるのが当たり前のように、レイキができるのも当たり前なのです。

ナチュラル・レイキとは

私は、2014年6月より、西洋レイキを複数のスクールで学び、また日本伝統の靈氣である直傳靈氣を学んできました。西洋レイキでは2016年にマスターを取得し、直傳靈氣でも2018年に師範格を取得しました。

その中で感じたのは、何だか無意味な規則やしきたりにとらわれて、本来のレイキが死んでいるという感覚でした。

 

西洋レイキの中には、オーラの浄化とか乾浴(けんよく)、身につけたアクセサリー類を外すことを求めるなど、様々な規則や条件があります。また直傳靈氣でも、その正統性を守るために様々なしきたりがあります。

こういうことは、その組織を守る上では重要な事かもしれませんが、レイキそのものを考えた時、私は無用のものだと思うのです。

なぜなら、「レイキ」として認識される以前から、レイキは存在していたのですから。レイキは人間の本能であり、自然なエネルギーなのです。

 

たとえば、お腹がいたい時に思わず手を当てますよね? どうしてですか? そう尋ねてみても、おそらく明確な回答は得られないでしょう。せいぜい、「それが普通でしょ?」みたいな回答しかないと思います。

なぜ答えられないのでしょう? それは、人間の本能だからです。

考えてもみてください。お腹が痛い時に、思わず手を当てる犬や猫がいますか? (いたらびっくりしますので、ぜひ教えてください。)いないはずです。でも、人は手を当てますよね?

では、怪我をした時にそこを一生懸命に舐める人はいますか? いないはずです。(これもいたらびっくりしますので教えてくださいね。)犬や猫は舐めますが、人は舐めません。なぜなら、それは本能ではないからです。

今の科学では、犬や猫が傷口を舐めるのは、唾液に含まれている成分により、治りが早くなるからだと言われています。しかし、犬や猫はそれを知って舐めるのでしょうか? そんなことは考えられません。

同じように、人が悪いところに手を当てると、治りが早くなるのです。しかし、そんなことを知っているから手を当てるのではなく、思わず手を当ててしまいます。結果として、治りが早くなるのです。

 

このように、不調の時に手を当てるという行為は、人間の本能であり、自然なことです。心身改善臼井霊気療法が大正末期に始まる以前から、手当て療法という民間医療のジャンルがありました。人は、手を当てれば早く良くなるということを、無意識に知っていたのです。

その、人の本能である手当てを積極的に使っていこうとするのが、「ナチュラル・レイキ」です。「レイキ」という名前は使っていますが、いわゆる「西洋レイキ」とか、その元でもある日本伝統の「心身改善臼井靈氣療法」(今学べるのは直傳靈氣だけです)とは、まったく別の考え方によるものです。

もちろん、その元になっている自然なエネルギーというものは、同じものです。しかし、それぞれの組織にある規約だとかしきたりとか作法とか、そんなものを完全に無視して、人として本来の能力に根ざしたレイキを伝え広めるのが、この「ナチュラル・レイキ」の目指すところです。

 

◆「ナチュラル・レイキ」を学びたい方は、こちらをご覧ください。
→ 「レイキ講座」

直傳靈氣の師範格を修得しました

2018年1月9日に、直傳靈氣師範格講座を受講し、師範格を修得しました。これにより、直傳靈氣の前期講座を開催することができます。

ほぼ1年前に、「直傳靈氣を修得中」という記事を載せました。その中で、「今年中には、直傳靈氣の師範格になることが目標です。」と書いたのですが、わずかに年を超えてしまいました。でも、ほぼ予定通りに師範格となりました。

※直傳靈氣師範格の修了証です。規約によりそのまま掲載できないため、一部を加工しています。

 

 

 

 

 

直傳靈氣では、指導者は「師範格」「師範」「大師範」という格付けがあります。師範格は直傳靈氣の前期講座まで開催できます。師範になると、後期まで開催できます。大師範になると、師範格講座を開催できます。師範講座を開催できるのは、今は代表の山口忠夫氏のみとなっています。

そういう違いはあるものの、直傳靈氣の伝授(西洋レイキのアチューンメントに相当する)は、前期講座も後期講座も同じです。なので、直傳靈氣という名前では講座を開くことはできませんが、教わった内容を伝えることは可能です。(私はやりませんけどね。)

実際、直傳靈氣を始められた山口千代子先生の教えを受けたある方は、別の名前で日本伝統のレイキだと言って教えておられるようです。それが良いことかどうか、ここでは論評しません。そういう考えもあるのだなぁと思うだけです。

実際のところ私も、前の記事でこんなことを語っていました。「伝統を守ることも重要ですが、その本質を生かす形で、自由に使うことも重要なのではないかと思っています。」その気持ちは、今でも変わりません。レイキは直傳靈氣の占有物ではなく、人なら誰にでも本来備わっている能力ですから。

 

これで私は、西洋レイキのマスターにもなりましたし、直傳靈氣の師範格にもなりました。そこでこれから何をしていくのかということで、いろいろアイデアがあります。それについては、また近いうちに公開できるだろうと思っています。