クリーン・アップ・パイプのやり方

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

「ナチュラル・レイキ」では、「クリーン・アップ・パイプ」というものを行います。これは、西洋レイキにおけるアチューンメント、日本伝統のレイキ(今は直傳靈氣しか教えるところがありません)における霊授に相当します。

しかし、「クリーン・アップ・パイプ」とアチューンメントや霊授は、まったく性格が異なるものです。そういう意味では、まったく違う存在と言えるでしょう。

 

西洋レイキや直傳靈氣では、アチューンメントや霊授を受けることによって、誰でもレイキができるようになると言っています。逆に考えれば、アチューンメントや霊授を受けなければレイキができないということになります。しかし、それは本当でしょうか?

私はこれまで、レイキを習ったことがない方も対象にして、レイキの練習交流会を開いてきました。その中ではっきりわかったのは、レイキを習っていなくてもレイキは出るということです。

レイキが人の本能であり、自然なことなのだとすれば、当たり前のことですよね? ただし、レイキの出方は人それぞれ違いがあります。レイキを習った人は出やすい傾向があり、習っていない人は出にくい傾向がある。それだけのことです。あくまでも傾向に過ぎません。

ですから、アチューンメントや霊授を特別なものに仕立て上げ、それを受けなければレイキができないと言うのは、真実ではないと感じています。そんなものを受けなくても誰でもできるのです。ただ、レイキの出方に違いがあるだけです。

 

そこで、「クリーン・アップ・パイプとは」で書いたように、大量にレイキを流してやることで、自分の中にあるレイキが流れるパイプをきれいにしたり、より太くすることができる、ということが重要なポイントになります。

特に、パイプが目詰まりを起こしている(汚れが溜まっている)状態では、外の力でパイプにレイキを大量に流すアチューンメントや霊授が有効だと思います。その代わりをするのが「クリーン・アップ・パイプ」です。

汚れが取れてパイプの目詰まりがなくなったら、今度は他人に対してレイキをすることで自分のパイプを大量にレイキが流れるようにして、パイプを太くすることが重要だと思います。

 

では、「クリーン・アップ・パイプ」とは、具体的にどんなことをするのか? その話をしていきましょう。まず言えることは、決まったスタイルはないということです。効果的な方法があったら、いくらでも変えてかまわないからです。目的は、大量にレイキを流すことですから。

その上で私が考えている1つの方法を示します。

・まずは頭頂に両手でレイキをします。時間にして1~2分です。
・次に眉間(額)にレイキをします。これも同じくらいの時間です。この時、コズミックプラグと呼ばれる額と後頭部に手を当てて、挟むような形でするのが良いと思います。
・最後は合唱した手を両手で挟むようにしてレイキをします。これも同じくらいの時間です。

トータルで5分くらいになると思います。これにより、レイキが流れるパイプの掃除ができます。

この時、「凝視法」「呼気法」を併用するのが良いと思います。
「凝視法」とは、眼でしっかりと見ることです。頭頂に手を当てたらな、その手の先にある頭頂を意識して見つめます。目線からも強いレイキが出るのです。
「呼気法」とは、細く長く息を吹きかけることです。これも当てた手を通り越してレイキが流れていくイメージで行います。呼気からも強いレイキが出ると言われています。

 

上記は、私が考えた現時点での最善の「クリーン・アップ・パイプ」です。何度も言いますが、これがベストというわけではありません。これもまた、1つの方法に過ぎないのです。

また、「クリーン・アップ・パイプ」が終わったら、レイキ回し(レイキ・サークル)をやると良いと思います。レイキ回しだけでもレイキが出やすくなりますが、自分が他の人に手を当ててレイキをすることになるので、より一層効果が高まると期待できます。

それから、レイキがまだあまり出ない人が他の人に対してレイキをするとき、指導者(レイキがよく出る人)が後ろから両肩に手を当てたり、頭頂に手を当ててあげて、より多くのレイキが出やすくなるよう手助けしてあげるという方法も、パイプをきれいにするのに役立つと思います。

いろいろな方法がありますので、ぜひ試してみてください。そして、もっと効果的な方法があると気づかれたら、どうぞ教えてくださいね。レイキは愛です。互いに助け合うことで、発展していくものだと思います。

クリーン・アップ・パイプとは

※まず、「ナチュラル・レイキ」が何かをご存じない方は、この前の「ナチュラル・レイキとは」「レイキが流れるパイプ」を先にご覧くださいね。

 

「ナチュラル・レイキ」では、「クリーン・アップ・パイプ」というものを行います。これは、西洋レイキにおけるアチューンメント、日本伝統のレイキ(直傳靈氣)における霊授と同じようなものです。

その目的は、人間なら誰にでも備わっているレイキが流れるパイプの汚れを取り除き、きれいにすることにあります。詰まりを取って、レイキを流れやすくすること。それが目的です。

 

私は、西洋レイキのマスターになり、直傳靈氣の師範格になりました。つまり、アチューンメントや霊授のやり方を知っています。その上で、それらがどういう意味があるのかを合理的に考えた時、要は「大量にレイキを流してやればいい」ことだと気づいたのです。

もちろん、どこに大量に流せばいいのか、ということもありますが、要は大量にレイキを流し、パイプの詰まりを取り除けば良いのです。だって、元々レイキが流れるパイプが備わっているのですから、それ以上のことをする必要性がないでしょう?

 

もしこれが、新たにレイキが流れるパイプを設置するというなら話は別です。そんなことができるとは思えませんが、そういう機能がアチューンメントや霊授にあると言うのであれば、私の認識は間違っていると言えます。しかし、論理的に考えてみれば、そんなことはあり得ません。

したがって、ともかくレイキを大量に流してやれば、パイプがきれいになってレイキが流れやすくなる、と言えると思うのです。

 

その証拠は、これまでレイキを習っていない人であっても、「レイキ回し(レイキサークル)」をすることによって、一時的にでもレイキが出るようになる、という事実があるからです。私はこれを何十回と経験しました。

「レイキ回し」というのは、ぐるっと輪になって前の人の背中にレイキをすることです。つまり輪になった電車ごっこみたいな格好ですね。こうすることで、自分の手から出たレイキが前の人に流れ、そのレイキがまた前の人に流れ、という具合にレイキがグルグル回るのです。

これを行うと、間違いなくレイキがよく流れるようになります。そうであるなら、レイキを受けるだけでレイキの流れは良くなるはずです。そして、事実そうなのです。

 

このようなことから、「ナチュラル・レイキ」では、西洋レイキのアチューンメントや日本伝統のレイキ(直傳靈氣)の霊授という制約の多い方法はやめて、単に大量にレイキを流すという意味での「クリーン・アップ・パイプ」を採用することにしました。

時間は、1人あたり5分程度です。効率良く大量にレイキが流れるので、それによって受け手のパイプがきれいになり、それまでより確実にレイキが流れやすくなります。

もちろん、1回ですべての汚れが取れるとは言いません。感覚的には、3回は受けてほしいと思います。つまり講座を3回受講するということですね。

しかし、パイプをきれいにする作用は、必ずしも「クリーン・アップ・パイプ」だけではありません。パイプが詰まっている時には「クリーン・アップ・パイプ」が効率が良いと思いますが、ある程度レイキが流れるようになれば、もっとも優れているのは「他人に対してレイキをすること」だからです。

自分が他の人にレイキをすることでも、自分のパイプの流れを良くすることができます。さらに、パイプを太くする段階に入ってくると、最良の方法は「他人に対してレイキをすること」です。「クリーン・アップ・パイプ」を受けても効果はありますが、効き目が逆転するのです。

 

そうやって、自分のパイプの詰まりを取り除き、パイプを太くすることによって、他人に対して大量のレイキを流すことができるようになります。つまり、「クリーン・アップ・パイプ」を効果的に行う能力が育つのです。

もちろんこれも、ある時から急にできるようになるというようなデジタル的なものではなく、アナログ的なものです。したがって、まだ詰まりが取れてない段階からでも「クリーン・アップ・パイプ」を行うことは可能です。(効果は限定的になりますが。)

そして、他人に対して「クリーン・アップ・パイプ」をすることは、「他人に対してレイキをすること」でもあるので、自分のパイプの詰まりを取り除き、パイプを太くする効果もあるというわけです。

 

これまでのように、マスターになったからできるとか、そういうものではありません。他人がレイキができるよう手伝ってあげたいなら、どんどん「クリーン・アップ・パイプ」をしてあげるべきです。そして、他人してあげたことが自分に返ってきます。自分のレイキのパイプを太くしたければ、他人のレイキのパイプを太くしてあげるのです。

 

上記のことを念頭に、「ナチュラル・レイキ」では「レイキを流す」ことを主眼とした講座を行っています。そもそもすべての人に備わった本能なのですから、何ら特別なことではありません。歩けるのが当たり前のように、レイキができるのも当たり前なのです。